変則的な日常と安定的な日常

この週末は、日曜日は丸々自分の時間に出来る休みだった。
外は寒いから、ホテルか出る予定もなく、ひたすら自分のために時間が割けるチャンスだった。

でも実際に日が終わろうとしてみると、やったことと言えば

  • 明日からの仕事の準備
  • 日本から持ってきたデクスターの鑑賞
  • Fitness Roomで30分程度運動
  • Civirization

くらいなもんだ。
結局、大したことやってない。

ここから言い訳フェーズなんだが、例えば今日1日で、仕事で使えもしないスクリプトを一つ書いたとしよう。勉強がてら、思いつきで作ったようなやつだ。継続的に改良していくこともなければ、GitにUPするなんてこともしない。
明日からはまた通常の仕事が始まり、忙殺され、次の土日は帰国便でぐったりだ。
帰国してからはまた予定の読めない仕事ばかりが始まり、3~4時間まとまった時間を取ることも出来ない日々が続く。
週末は家族との時間を優先しているから、自分のやりたいことは出来て2時間程度。
旅行計画や友達の結婚式や次の出張などの予定がたっぷり半年ぐらい詰まっていて、継続的な勉強をする時間なんて取れそうもない。

さて、予定を立てるだけで、自分の時間が細切れになるのがわかっている状態で、どうやって継続的に勉強を続けていけば良いか?

結構多くの会社員が悩んでいることじゃあないだろうか?

発想を逆にして、継続的な勉強時間をまず入れて、その次に旅行や仕事や家族の計画を入れては?
違うんだ。それは自分自身が許さない。自分よりも優先すべき計画をまず組み込むのが大事だ。

また、何も予定のない時間もバッファとして組み込んでおきたい。
僕は余裕のないスケジュールと言うのが何より嫌いなんだ。
空き時間は意図的に作りたい。その間で、崩れた予定の組み直しをしたり、考え事をしたり、雑事をしたり、あるいはスキマ時間で出来ることをしたい。

こう考えると、継続的な勉強と言うのは、どうしたって優先度が下がる。

根本的に、やりたいことが多すぎるのだ。
漫画も読みたい、アニメも見たい、本も読みたい、映画も見たい、運動だってしたい、家族とショッピングに行きたい、親孝行したい。

継続的な勉強が入る余地がどこにある?

答えはこうだ。
「時間のある若いうちにもっとやっておけばよかった」

ユーザ系システム子会社勤務の半端な技術者の悩み

僕はユーザ系システム子会社で勤務している。肩書き上は総合職の主任、やっていることは「SE」や「PM」などと言うものだ。
大学を中退し、コンピュータ関係の専門学校を卒業してから就職した。

今この瞬間僕は何をしているか?アメリカのホテルで、夜眠れない時差ボケに苦しみながら、この記事を執筆している。
アメリカには、出張で来ている。2週間、こちらでの仕事をする必要があり、今週からこちらで勤務している。

どういう悩みを抱えているか?それは非常にシンプルで、プログラミングが出来ないと言うことだ。
今の僕の大半は、会議・EXCEL資料作成であり、コーディングなんて週に30分あるかないかだ。

ユーザとコミュニケーションを取り、予算管理部門と交渉して予算を捻出し、外注企業に仕事の説明をし、仕様書EXCELで書き、納品されたものを検証し、出張などをしてユーザに説明しながらフォローを行う。
それが今の僕の仕事の全てだ。

仕事のフローは上記の通りだが、実際の仕事内容は非常に短納期で、かつバリエーションに富んでおり、毎度楽しく頭を働かせている。
そういう意味では、今やっている仕事に対する不満は特にない。本気で取り組めば非常にやりがいのある仕事だ。結果も割りと見えやすい。

しかし、そんな状況だからこそ、僕が技術に割ける時間がものすごく短い。それが不満なのだ。

僕は技術が好きで、暇があればQiitaを覗いたり、はてブのテクノロジーカテゴリに上がっている最新記事を読んだり、VIMプラグインを試したり、新しいIDEをインストールしたりしているくらいにはIT関係の技術に興味がある。通勤中の読み物も、科学技術関連のものが多く、新しいことを知ったり、先人たちの歩んできた道のりを知ることにものすごくカタルシスを感じる。

そうして空いた時間に得られた知識を、生活の半分くらいを占める仕事に生かせないことにものすごくストレスを感じている。

僕はもっとプログラミングをしていたい。1週間くらい、他の仕事をすることもなく、コーディングをしたりしていたい。
今は、分刻みに刻まれたスケジュールをやりくりし、全てEXCELの報告書を読み、訂正し、バージョン管理も正しくされないまま、時には何が最新かわからなくなるような前時代的な憂き目に合いながら日々を過ごしており、コーディングへ頭を切り替えても10分後には別の仕事が始まるため、コーディングに対する姿勢が失われている。

今僕はアメリカ出張で、日本にいる時よりも比較的時間を取れるほうだ。つまり、コーディングに打ち込める時間は取りやすい。
が、実際にはどうか?コーディングに対する姿勢が及び腰になっている今の状況で、また新しい朝が始まるとユーザとの打ち合わせや、日本で行われたことの報告・調整などで忙殺されてしまう。
ホテルに戻ると時差ボケも手伝ってそこそこ疲れており、次の勤務までに使える自由な時間はせいぜい3~4時間ってところだ。それも、ホテルでのメールの返信や、翌日の準備などをしているとあっという間になくなってしまう。

つまるところ、環境を変えても、やりたいことをするには仕事量が多すぎると言うことだ。

もちろん、GTD的に、やることをリストアップして自分をコントロールすることもあった。何をしないか、と言う選択も常にしているつもりだ。

けれど…取れた時間を自分の自由に費やす勇気が出ない。「どうせすぐに中断されて止めることになるし」と言う思いが常にあるのだ。
言い訳めいた言葉だけれど、僕にとってはまごうことなき現実だ。実際その通りだし。

また、僕の立場的に、新しい技術を勝手に業務で使うことにはあまり差し障りはない。細かな部分で新技術を取り入れて業務改善をするのは、企業内では容認されているのだ。

僕と似たような境遇で、同じような悩みを抱えている人は他にいるのだろうか?どう解決しているのだろうか?
転職だって何度も考えた。けど、今の仕事にやりがいがあるため、完全に転職理由がエゴだ。
それだって別に正当と言えば正当なんだけれど、職場は満足しているし、給料だって不満がない程度にはもらっている。
技術的なことがやりたいと言う理由で転職に踏み切った場合の、妻や幼い息子へのケアのことを考えると、どうしても踏み切れない。

明らかに今は人生として安定している。そこであえて転機を求めることは欲張りなのだろうか?
自分の変えていける範囲で変えていけばいい、と言う発想もある。
だけれど、上記のようなワークフローで、どこに僕のやりたいことを組み込めるのかがわからない。

予算・人員などの調整と業務分析・システム設計・コーディングを全てこなしているような人は果たしているのか?そんなスーパーマンを見習いたい。

目的なくネットサーフィンしないほうがいい理由

ネットサーフィンとは自己の拡散に近い。ここで言うネットサーフィンとは、記事をしっかり読むのではなく、斜め読みし、ヘッドラインを高速で追うような情報収集をしてんだかしてないんだかわからない状態のことを言う。

ネットサーフィンは、小説を読んで没入する感覚と、およそ真逆の体験である。

電車内でいつものようにはてなブックマークを開いて、どれどれ話題になってそうな面白そうな記事はあるかなと見出しをつらつら眺めているときである。

ハッとなった。

その直後に、気持ち悪さを覚えた。

自分は何をしているんだ?話題の記事を追って、斜め読みをして、コメントを見て、それでどうしようって言うんだ?
他人の備忘録や回想録や日常的な振り返りや所信表明、そういうものを読んで、何が目的だ?

確かに新たな情報に触れることは楽しいときもあるし、刺激的なこともある。
自己を切り売りして別の他人に感情移入して、追体験のようなことをすることで如何にも経験値を高めていそうなことだ。色んな考えに触れることは、ああ、確かに良いことだろうさ。

だけど僕は気付いた。
考えは広がっても、自分の能力にはなっていない。
素晴らしい発想や論理力で、他人を説得させて改心を促すようなことを記事にしているのはよく目にする。
こんな着想でツールを作ってみた、組織作りにこういう貢献をしてみた、カッとなってMAD動画を作ってみた、などなどetc。

でもそんなことを電車内で体験したところで、自分がツールを作れるようになるわけでもなく、組織作りを出来るようになるわけでもなく、動画を作れるようになるわけでもない。

ネットサーフィンは、能力の向上にはまったく寄与しない。

そして何より、冒頭で自己の拡散と書いたが、平たく言うと集中力を散らかしてる状態を延々続けてるようなものだ。ネットサーフィンに集中しているというのは、逆説的なもので、集中していない状態を継続していることに他ならない。

より深くネットサーフィンに没頭することで、自分が曖昧になるのを感じ、他人をより近くに感じることが出来る反面、他人を通して見た自分が惨めで憐れなものに思えてくる。

ネットサーフィンはインプットですらない。
現実逃避の手段にしてもお粗末すぎる。
拾い上げた情報を咀嚼する暇もなく捨てるような行為には、なんら意味がない。

これなら、漫画でも読んでるほうが何百倍もマシだ。

もっと、自分にフォーカスしよう。

社長席の椅子取りゲーム

「日本の技術は負けていない」という思考停止は国を衰退させる : IT速報

確かに、社長席の椅子取りゲームってのはなかなか言い得て妙だ。

出世欲のあるサラリーマンの場合、最終的なゴールは役員であるのがまあ大多数じゃないだろうか。
実はそこに、社会としての脆弱性がある。

これに類似する構図を、僕は過去に見てきた。
受験戦争である。

中学高校と受験勉強をした目的は、より良い高校へ、より良い大学へと進学することだった。
しかして、皆がそう言う方向へ向かうと、必ず、目的を達成したあとの解放感、並びに虚無感を想像せざるを得ないこととなり、事前にそれを察知した場合、目的を達成することそれ自体の意義が問われる事態となる。

おかげさまで、目的を見失ったり、あるいはただの勝負事に疲れた若者たちは学力低下などと騒がれてる状態である。
(個人的には、学力低下じゃなくて教養の不足だと思ってるけどね)

さて、同じことが社会人になっても言える。
会社に入った時点で、なんの専門性も持たないヒヨッコとして扱われる。

まずスタート地点が、中学高校の一年生の構図と同じなのだ。

大学まで進んで学んだことが、それを推奨してきた社会によって一蹴される。なんだそれは、と思って当然。

真面目な人たちは、なにくそ、と踏ん張り、どうすればのしあがれるか考える。

おや、どうやら、会社のポジションは、年功序列と功績と決まっているらしいな。若者に役員の席を用意するつもりはさらさらないらしい。
つまり、実績を積むしか、大企業の役員の席を頂く術はないようだな。となると…まずやることは…

お行儀よくここまで思考を進めてる時点で、絡め取られている。もう抜け出せないのだ。

さて、この真面目な若者のゴールはどこか?
大企業の役員のポストを取って、どうなる?
給料と社会的地位を築いて、どうなる?

想像には難くない。堅実に、築いてきたものを失敗して崩さないよう腐心するだろう。

優秀なサラリーマンの大多数がこうした野望を抱き、そして役員の席という限られた椅子をとれない事実に直面して行き場を失い、自分の目的を再度問い直さざるを得ない状態で、なにが競争力か、なにが1億総活躍か。

加速した世界で、大企業は速やかに死んでいく。劣化した新陳代謝で、生き長らえられる道理がない。

スピードアップした結果訪れる品質低下問題

  1. 業務がスピードアップする
  2. 査閲、承認のプロセスがボトルネックになる
  3. 時間をかけて精査することが疎かになる
  4. 60点のものでも承認されてしまう

上司に何かの問題点を報告し、対策のためには仕組みが必要と言う結論になる。
が、じっくり考える時間がないので、とりあえずというアイデアを実行する。
周知徹底や学習習熟する時間もあまりないので、もちろんうまくいかない。

今現在、こういうループにハマっているから辛い。

短時間でいろんな人に承認してもらわなきゃいけない状況は、間違いなくいろんな品質を犠牲にする。

内部から変革しようとしてます

日本でプログラマが少ない理由は戦う戦場を間違えているからです - 文系プログラマによるTIPSブログ

仰ってることはたぶん正しい。
この業界、そういう性質が多分にある。
年功序列とは切っても切り離せない性質。

いわば、会社をまたいで上司と部下の関係を貫いてるわけだから、ヒエラルキーの上層部に行くほど管理職が多くなるのは必然と言うか、水が流れ出る元には蛇口を調節してる人がいるよねと言うぐらい当然の話。

さて、僕はSIというSIかどうかはよくわからないが、とにかくユーザー系システム会社にいる。もちろん、多重下請け構造だ。無駄なことが多過ぎてうんざりするよね。

エクセルと向かい合うだけの仕事は個人的にお断りなので、いろんな仕組みを作って、世間ではほぼ枯れてても弊社では新しい技術を取り入れたり、好き勝手やってる。

記事でも言及されてるが、新しい何かを本気で浸透させるには、説得させる資料を用意したり、啓蒙したり、とてもじゃないが成果に見会わない労力がかかる。

だから、僕は正面作戦はやめた。アホらしい。
与えられているリソースを活用してひっそりとjenkinsを稼働させて、実運用にまでフェーズインさせたり、redmimeでの情報管理を徹底するよう、自分が指示できる範囲で指示して、気がついたら上司以外はredmimeを使ってるような、外堀を埋める作戦をしてみたり。

jenkinsやらredmimeなんか今更すぎるけど、それって悲しいけどSIの現実なのよね。それほどまでに、技術的には頼りない。エクセルベースの進捗管理、課題管理表が横行してて、改善しようとする人がいない。やり方を変えられそうになると反発を食らう。

よく言われることだけれど、

事前に許可を得るより、事後で許しを得るほうが容易い

なのだ。
もちろん、やればいいってもんじゃない。結局混乱を招いたりしたら、それこそ目をつけられる。自分の努力が水の泡になるだけでなく、未来がなくなる。
失敗しても、次に繋がるよう、立ち回らねばならない。

例えば、こういうプロセスだ。

  1. 上司と雑談しているとき、問題点を共有しておく。「なんか、もっと効率よくやりたいですよね~」
  2. こっそり新しい仕組みを導入してみる
  3. 部下や、管轄下にある派遣さんに試験的に使ってもらって、意見を聞いてまとめる。
  4. 他のチームにも状況を聞いてみる。「あー、やっぱりそういう悩みあるよね。うちではこんな取り組みをしようとしててさ…」
  5. 他のチームから「あいつのチームではなんかこんなことやってるらしいぞ、うちもやってみるか」
  6. 上司に報告。「効率化のために、こういう取り組みをしてるんですけど、こういうところがまだうまくいってなくて…他のチームもやり始めてるんですけど、一緒に改善活動してます」
  7. 「みんなで協力したら、生産性向上活動の実績にもなりますしね。うちのチームの。」←成果が欲しい上司への殺し文句

とりあえずここまで持ってくれば、もう反故にされることはない。

重要なのは

  • 外堀を埋めること
  • 関係する人の共感を得ておくこと
  • 取り組みにはフワッとしてる段階からいろんな人を巻き込んでおくこと

これだと思う。

コミュニケーション力というより、政治力に近い。
自分の企てが露呈しても、潰されないよう手を打っておくこと。

もちろん、上司の性格や、部署の性質なんかによって話のもっていきかたは違うと思う。

けれど、共通してる作戦がある。
それは、

敵対しそうな人を当事者にしてしまうこと

である。


と、なんだか権謀術数ばかり考えてる人みたいだけど、とにかく、僕は技術的に弱いSIってのを嫌ってるから、こうして新しい仕組みを導入しようと日夜企んでいる。

僕?僕は技術的なことは好きだけれど、適正はあまりないと思う。
でも、こうして僕が取り組んだ結果、技術者が働きやすい、チャレンジしやすい環境が出来ればな、と思ってる。
下請けに対しても、立場的には、「情報共有はslack使って行うからね」とか強制させやすい。
それが、業界全体の底上げに一石を投じることになるなら、なんだってしよう。

なんてったって、僕も技術者軽視の日本の風潮をなんとかしたい一人なんだから。

マネージャーの役割

マネージャーの役割とは、部下が自身に与えられた役目を十分にこなしている限り、組織としてうまく機能するような仕組みを維持することだと僕は思う。

部下が何をしているのかわかってないなんてもってのほか。

部下の仕事が、会社でのどこのポジションの仕事に相当するのかの理解。

部下が自身の仕事を完遂した時に何が成果として残るのか?把握するのもマネージャーの仕事だ。

要するに、指揮官のような仕事だと思う。
兵士に仕事を命令する。糧食を運べ、要衝を守れ、斥候を派遣しろ、等々。
目的なき命令などありえない。命令をやり遂げた結果が何かしらあるはず。

日本の成果主義が失敗するのは、まずここに理由がある。
現場の意見が強いというか、従業員一人一人が、仕事を見つけ、自分の考えで動くから、命令に対する成果と言う図式が成立しないのだ。

個人的な感覚で言えば、現場からの叩き上げで管理職になった場合は、個人の役割については知悉することが多いが、指揮官たるかと言えば、そうではない。
そういう人物はどちらかというと、部下に背中を見せ、時には叱咤し、時には褒め称える、いわゆる軍曹だと思う。現場での心構えを伝えることが出来る。細かい戦術的な指揮なら出来るが、より戦略的な視点では意見はあれど指揮は出来ない。

日本社会がグローバル化するにあたって最も不幸の源泉になってるのは、ここの、軍曹止まりの人が管理職になっていることだと思う。

管理職には、ちゃんと会社のミッションを把握し、現場の人間より一段階上からものを見ることが出来る人が相応しい。
最近とみにそう思うようになった。