日常を切り取る
昨日は休日出勤していたが、カメラを持ち歩いていた。通勤や帰り道に、写真でも撮ろうかと思ってね。
朝起きて外に出るとびっくり、堺市に雪が積もっていた。
マンションのエントランス近くにある、植栽の中にあるライトも雪を照らしていたので、パシャリ。
雀。まだ寒そうだ。
朝の光。
ベンチ。
植木。
普段何気なく通る道でも、カメラで撮ってRAW現像すると、良い味が出るもんだね。
カメラ歴は短いけれど、カメラは発想だと感じた今日このごろ。
すごい写真を撮るには技術も労力も必要なんだろうけど、「何を・どこを被写体に選ぶか」は純粋に発想だね。撮り方次第で見る側の感じ方が恐ろしく違ってくる。
しばらくは、どこにいってもカメラを持って行こう。
世界を切り取る
先日、家族でイオンモールに行ってきた時に、イルミネーションが綺麗だったので撮った一枚が自分的にすごく良かったので貼る。
カメラっておもしれー!
RAWモードで撮影してPCで現像すると、色々夢が広がりますね。
僕はカメラ超初心者だけど、自分の目を通して見る景色と、ファインダーを通して撮影した景色があまりに違いすぎて、「この景色は綺麗だな」と思うものはもちろんカメラで撮ってもめちゃ綺麗なんだけど、「普通の景色だな」と思うようななんでもない景色でも、カメラで撮影するとすごく世界が現れると言うか。
体験に紐付かない世界の切り取りには、想像の入る余地があってものすごく楽しい。
息子がもう少し大きくなったら、色んなところにカメラ持って遊びに行きたいな。
人々の距離間を自身で選べる社会
アダム・スミスが労働の細分化を行い、結果として管理職が発生し、労働集約が経済効率が良いとされ、コンピューターが登場し、多くの仕事が省力化・省人化した結果、プロセスやデータを管理すべき人が増え、それらの人を管理するべき人が増え、かつてないほどコミュニケーション技術が発達したことにより人と人との距離が近くなったとき、人々は多くの人の間で生き抜くことのストレスを自覚し始め、鬱病など精神に由来する病状も増え、人口過密やハラスメントなど、精神負荷を下げるために今度は人々は適度な距離を求めはじめ、なるべく働かない事や、対人時間を自身でコントロール出来るよう、リモートワークなど、技術を駆使して今までの経済を保ちながらも新たなパラダイムを取り入れようとしている。
昔は人々の距離が遠すぎ、今は近すぎる。次は少し離れるだろう。
働き方改革の先に有るのは、人々の距離をそれぞれが選べる社会かも知れない。
製造業の落日と若者の諦観
日本の製造業「壊れつつある」−米紙が分析 | 政治・経済 ニュース | 日刊工業新聞 電子版
製造業の会社で働いている「職人」を、「長年の蓄積で磨き上げた巧の技で機械や工具を操る人」と定義するなら、それが今後20年間も強さの源泉であり続ける理由はどこにあるだろうか?
僕が16歳の純粋な若者だとして、「なんで蓄積した技をロボットにやらせないの?その技が会社の強さなら、ロボットで模倣するようにすればいいんじゃないの?」と発した質問に、感傷的な反論以外の論理的な反論はありえるだろうか?
ルールは変わっていく。「失敗の本質」にも、日本が戦術でも勝てなくなったのは、変わるルールに追従出来なくなったからだと書いてあった。その通りだと思う。
翻って、製造業の落日を嘆くなら、ルールが恐るべきスピードで変わっていることを知らない、あるいは知っていて尚過去の栄光に縛られている人たちから発言権を奪うことからしないといけないだろう。
若者は、10年後にはもう今のルールは通じないことはわかっているんだ。
でも声が届かないのは、届いても何も変えられないのは、声を聞いてる人たちが黙殺し、「年を取ればわかる」と言って議論を回避し、成功し利益を生み出し続ける方法を崩そうとしないためだ。
一度得た優位を保ちたくなるのは反射。
リスクを取ることとは、今持てる優位を捨てれることである。
イノベーションのジレンマは、構造的な理由でもあり、人為的なものでもある、と今にして思う。変えられるを変えられぬのは、人の反射のためだ。
「超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ
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デバイスの分離
電車内などでちょっとしっかり書き物をしたくなったとき、キーボードとウェアラブルグラスがBluetoothで接続され、自分の視界にだけ入力された文字が映るようなデバイスがあればなあ。
さらに、スマホとウェアラブルグラスが接続され、Evernoteのアプリが起動されれば最高なんだけど。
ウェアラブルグラスとスマホとキーボードを、それぞれBluetoothで接続し、
アプリはスマホで起動、画面はウェアラブルグラス、入力はキーボード、という風に入出力と処理部分を分離すれば、結構イイ感じになりそうな気がする。
どっかに売ってないかね、そういうウェアラブルグラス…
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ロボットと都市計画
自動運転についてよく考えているが、都市計画と一緒に考えることが、個人的にはしっくりくる。
また、乗用車の自動運転より、例えばゴミ収集車、バキュームカー、清掃車や、除雪車など、そういった車の自動運転を、人口の少ないところで試験し、コストを見れば良いのではないかと思う。
車が大衆に行き渡り、車社会の到来と同時に高速道路が整備されたように、ロボット社会の到来と同時に都市計画が行われるであろうことは想像に難くない。
ロボット社会のブレイクスルーは、人工知能でもIotでもなく、ワイヤレス送電にあると考える。
いくら役に立つ技術が出来ても、電力の縛りがある以上は、どうしても充電切れなどのリスク対策を重視せねばならない。無闇にコストがかかる。
ワイヤレス送電は、充電の縛りから開放してくれる。
ロボット社会のことを、こうしてリアルに考えることが出来る時代であることは、すごく時代の節目に立ってる感じがする。
大量生産大量消費の誤謬
恵方巻き、早くも大量廃棄 店頭に並ばないケースも…:朝日新聞デジタル
僕は思うんだが、昔と今では、大量生産大量消費の規模や意味が違うのではないか。
今の技術力で本気の大量生産をすると、昔と比べると比較にならないほど多くの物を作れる。
大量生産で大量受発注をし、大量消費をするということが、単純にスケールアップしたとき、物が余るのは必然的である。
小売店は、大量に仕入れた方が利益に繋がるから、もちろん戦略として大量に仕入れる。
しかし、コンビニのような、あちこちにある店が同じ戦略を取ると、「合成の誤謬」が発生し、消費は分散され、各店の売上は均され、期待より売れない、物が余る、という自然な状態が発生する。
そういうマクロな視点で見ると、「売上を増やすために店内で工夫する」というのは、あくまで最後の戦術だよなあと思う。戦略ではない。
極論、僕は生産の未来は需要予測ではなく、必要確定によるものだと考えている。
10個のコンビニが100個の恵方巻きを300人にどう売るかではなく、300人の恵方巻きを買いたい人がいつどのように生産チャネルへアクセスするか。
小売に欲しいというのではなく、消費者が生産チャネルに直接アクセスすることで、必要数の確定から物事が動くため、物が余らない。
物が余らない社会は非常にエコだが、非経済的だ。
生産して消費するという経済の根幹は、果たしてロボットなどの新労働層の登場によって揺るぐだろうか。
非常に発達したルンバを、労働力として認めた先には何が起きる?
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