5分間の音楽を1分で理解できる人などいない

どれだけ技術が発達して生産性が上がっても、人間の能力は大幅には向上しない。
相変わらず僕らは睡眠時間が必要だし、食事時間だって減りやしない。
音楽の定額制についても、どれだけの音楽が定額で聞けたとしても、一人の人間が聞ける音楽には限りがある。
視覚から入る情報に比べて、聴覚から入る情報は圧倒的にリニアだ。何枚もの絵をほぼ同時に見ることが出来る眼とは違い、耳は数種類の意味のある音声を同時に聞き分けることは出来ない。
仮に1日24時間をフルに音楽を聞くのに費やしたとしても、平均5分の音楽であれば288曲しか聞くことが出来ない。この上限は、人間であれば不可避だ。大統領であろうが、生産性の神であろうが、あるいはスラムに住む子供であろうが、誰にとっても聞ける音楽量の上限は変わらない。

そう考えると、全ての音楽をデジタル化してチェックするとき、作業量に上限が出てくるのは当然だ。
音源をある会社はmp3に圧縮して配信する。別の会社はaacで配信する。
音源が正しいから圧縮後も正しいとは言えない。もしかしたら音割れが発生しているかも知れない。デジタルで音割れがあるかどうかを検出する術があるかどうかは知らないが、ここではないとして話を進める。
5分間の音源一つに対しては、圧縮後の形式が3つあったとして、これの完全性のチェックをするのに、必ずのべ20分かかる。
定額制でカバーすべき曲が多ければ多いほど、当然ここの作業量は増えていき、減ることがない。

本当の人間の進化と言うのは、生物学的・技術的なブレイクスルーと言うのは、時間圧縮による情報取り込みだと思う。
もし5分間聞かなきゃわからない音楽を、1分間でわかるようになる技術があれば、それは時間圧縮だ。
速読の達人は常人の何十倍もの速度で本を読むらしいが、誰もが1分間で本一つの情報を取り込めるようになれば、それは時間圧縮だ。

チップを生体に差し込んで脳に情報を直接インプットするのはSFだが、いずれは出来るようになるのだと思う。人間が扱っている情報が、全てデジタルに変換できるのであればね。