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目的なくネットサーフィンしないほうがいい理由

ネットサーフィンとは自己の拡散に近い。ここで言うネットサーフィンとは、記事をしっかり読むのではなく、斜め読みし、ヘッドラインを高速で追うような情報収集をしてんだかしてないんだかわからない状態のことを言う。

ネットサーフィンは、小説を読んで没入する感覚と、およそ真逆の体験である。

電車内でいつものようにはてなブックマークを開いて、どれどれ話題になってそうな面白そうな記事はあるかなと見出しをつらつら眺めているときである。

ハッとなった。

その直後に、気持ち悪さを覚えた。

自分は何をしているんだ?話題の記事を追って、斜め読みをして、コメントを見て、それでどうしようって言うんだ?
他人の備忘録や回想録や日常的な振り返りや所信表明、そういうものを読んで、何が目的だ?

確かに新たな情報に触れることは楽しいときもあるし、刺激的なこともある。
自己を切り売りして別の他人に感情移入して、追体験のようなことをすることで如何にも経験値を高めていそうなことだ。色んな考えに触れることは、ああ、確かに良いことだろうさ。

だけど僕は気付いた。
考えは広がっても、自分の能力にはなっていない。
素晴らしい発想や論理力で、他人を説得させて改心を促すようなことを記事にしているのはよく目にする。
こんな着想でツールを作ってみた、組織作りにこういう貢献をしてみた、カッとなってMAD動画を作ってみた、などなどetc。

でもそんなことを電車内で体験したところで、自分がツールを作れるようになるわけでもなく、組織作りを出来るようになるわけでもなく、動画を作れるようになるわけでもない。

ネットサーフィンは、能力の向上にはまったく寄与しない。

そして何より、冒頭で自己の拡散と書いたが、平たく言うと集中力を散らかしてる状態を延々続けてるようなものだ。ネットサーフィンに集中しているというのは、逆説的なもので、集中していない状態を継続していることに他ならない。

より深くネットサーフィンに没頭することで、自分が曖昧になるのを感じ、他人をより近くに感じることが出来る反面、他人を通して見た自分が惨めで憐れなものに思えてくる。

ネットサーフィンはインプットですらない。
現実逃避の手段にしてもお粗末すぎる。
拾い上げた情報を咀嚼する暇もなく捨てるような行為には、なんら意味がない。

これなら、漫画でも読んでるほうが何百倍もマシだ。

もっと、自分にフォーカスしよう。