読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

多様性は差別的思想を駆逐する

アメリカにいてて感じることは、とにかくフラットであること。
年齢・人種・背格好・服装・話し方・振る舞い…もちろん、文化的に、「こういうのがベター」とされるものはあるだろうけど、それを差し引いたとしても、フラットである部分が多い。
「アメリカは差別を感じる国だと思っていた」というのは結構よく聞く事なんだが、そう感じることは全くない。
もちろん自分の観測範囲なのでたかが知れているが。

思うに、過去に差別にまみれ、差別に苦しんだ歴史があるからこそ、差別をタブー視するような社会になりつつあるのではないだろうか?
日本でも、昔の差別のことはタブー視されていることが多々ある。僕が子供の頃は部落などの話は時々聞いていたが、今はほとんど聞かない。これはタブー視された結果、地域による差はフラット化されたものだと考える。

日本は多様性がない。だからこそ、差は如実に現れ、すぐに一線が引かれてしまう。
いずれ日本も移民…と言う言い方はあまり好きじゃないが、好きで日本に移住してくる外国人が増えていくことだろう。賛成とか否定とかそういうもんではなく、事実として増えていくだろう。
極端な話、純日本人がマイノリティになった社会において、差別がまだ残っているかというと、残っていると思うが、それは純日本人による選民思想的な何かでしかないと思う。

畢竟、差別的思想というのは、多様性の前では鎧袖一触である。