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人の怒りをいつの間にか受け流せるようになっていた

いつしか僕は気付いていた。「人は、本当のことを言われると怒る」と言うことに。
あるいは、理不尽に怒っている人は、同意しながら話を聞いてあげるだけで収まると言うことに。
悪いことをしていないのに、殺されるような目に遭うことなんてほとんどない。
よっぽど性格の相性が悪いこともあるだろうけど、そういう理屈でないことこそ、早めに察知して危うきに近寄らないほうが良い。

21歳頃くらいの時、「君は何が起きても動じないね」と言われたことがある。
これは今でも続いており、どんなトラブルでも、むしろトラブルでこそ思考が怜悧になる実感がある。
今現在、SEとして働いている日々だが、トラブルシューティングは好きである。
誰かが「問題だ!」と騒ぎ立てて怒り狂っている。
そんな状況を目にして僕が思うことは、ただひとつ。「何故そう思うに至ったのか?」
何故それが起きたか、ではない。誰かが何故そう思うのか、そこに興味がある。
あらゆる問題は、そう認識しないと問題ではない。
たったひとりの交差点で赤信号を見ても危険であると言う認識は生まれない。
多数の人が同じ解釈を持つからこそ、赤信号は危険を示すものだと言う認識が生まれる。
問題も同じだ。ソフトウェアの予期しない挙動、さらにそれがほとんどのユーザの想定していない挙動であるからこそ問題だと騒ぎ立てられる。

「何が起きたか」は問題ではない。
「何故そう思うか?」が問題だ。

言語は思考を規定する。
どういう言語がその思考を導いたのか。
それが何より肝要だ。
だからこそ、会話が何より尊ばれるのだ。