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仕事に押しつぶされそうな時の妄想マインドセット

組織活動を戦争、会社で行われる打ち合わせを戦場に見立てれば、歴史上の素晴らしき英雄たちの優れた戦略を取り入れて考えることが大変役立つ。

打ち合わせで行うプレゼンや、華やかな資料など、その場を統べるための戦術的としては確かに有効なのだろうが、それを用意せねばならなかった時点で、戦略的には敗北している。

ところで、仕事上発生するタスクというのは、一つ一つ片付けないといけないものである。誰がどうやるにせよ、それ以外の定義は有り得ない。また、そのタスクの積み重ねが、戦況を左右するようなことにもなる。いわばタスクの解消は、兵站の安定供給である。だが、兵站と異なるのは、「無くしても問題がない場合がある」ということだろう。

我々一介の平社員として、タスクに対する対応方法は

  • 実施する
  • 実施しなくてもいいようにする
  • 誰かに委譲する

の3つがある。

実施する

これは最悪の選択だ。何故なら、仕事をやらなければならないのだから。ワーカホリックは別として、最小の仕事で最大の成果が上がることを最上と仮定した場合、仕事をするというのは最悪の選択肢である。それは「戦場に赴いて敵を一人でも多く撃つ」ことと同義である。

実施しなくてもいいようにする

戦略的にはこれが最上だ。やらなければならないことをやらなくていいようにする方法があるなら、迷わずそれを選択するべきだ。

誰かに委譲する

これは自分がやらずに済むと言う点では及第点、自分が出来るor出来ない仕事を他に振って他者の力を強めるという組織的な意味では良い選択だろう。
だが、「命令に対する責任は、実行したものではなく、常に命令した者にある」という原則に則って考えれば、逃げの一手というわけではないので、勘違いしないようにしなくてはならない。

さて、上記の通り、「実施しなくてもいいようにする」が最高の方法であることは疑いがない。

では、その方法とは?

  • タスクを終わらせたところで何も変わらないことを証明する

管理によくあることだ。例えば、進捗管理資料の頻繁な更新。「誰が何のために見て、どういう成果が発生するのか」。管理職が見てそれだけで終わるようでは、進捗資料の定量的な意味合いはない。もし自分たちの職場の進捗資料が、見せてそれだけで終わるような、着地点の存在しない類の資料であるならば、それに費やす時間は限りなく短くすべきだろう。(進捗資料の更新をやめろとは言わない。組織運営上、逆らえない事情もあるだろう)

話はそれるが、日本のキャリアパスを辿って、ピーターの法則に従って昇進してきた管理職の殆どは、「管理の成果」を最終的な結果とみなし、途中の「部下に報告させることによって発生する成果」を重視しない。

  • タスクを無為なものにする

戦略において、戦わずして敵を無効化してしまうことほど、効果の高い戦闘方法は存在しない。
例えば、2日間かけてプログラムを作るタスクがあったとしよう。
そのタスクを無為なものにする方法を考える。
そのプログラムは誰が使うのか?
そのプログラムは何のために使われるのか?
仮に、そのプログラムが進捗資料の自動更新を行えるプログラムで、管理職が週一回使用する予定であるとしよう。

これを無為にするには

  • 管理職が進捗を確認する意義をなくす
  • 進捗資料の意味をなくす(形骸化)

これは同じことを示している。
つまり、「進捗資料を用いて報告してるけど、オフィシャルに出来ない話がたくさんあって、資料に落とせないから口頭で言うようにしますね」とか、「忙しくて進捗資料を精度が悪くて、個別でケアしないといけない」とか、つまり、何かに理由をつけて、進捗資料それ自体が意味のないものにしてしまう。

会議のベースになる資料が信用ならないものであるなら、何を信用すべきか?対話である。チーム内での報告と、役員への説明資料は性質が異なる。管理職が対話することを怠ることを正当化するための進捗資料更新など、悪以外の何者でもない。

タスクがあまりに多くて押しつぶされてしまいそうになることがあるが、「実施しない」と言う選択肢が常に最上であることを念頭においておきたい。
とは言え、あまりにそればかり考えてるとただの屁理屈野郎と思われる危険性もあるので、バランスが大事だ。
自分の戦略が奏功するかどうかは、まずは信用されることが前提になるのだから。考えても実行に移せない状況は、それだけで敗北だ。