1年かかったアメリカのプロジェクトももう終わり

2016年3月に初めて仕事でアメリカに来てから早1年。
この1年間は、半年近くをアメリカで過ごした。
最初はまったく慣れずに、通訳を絶対に必要としていたけれど、通訳がいない時にユーザと会議をしたりすることもあり、その辺から、「ああ、英語を身に着けないとプロジェクトが終わらない」と感じ、とは言え今までしてきた勉強がほとんど意味がない・・・意味が無いと言うわけではないが、効果的ではないとわかり、英語に対する考え方を変えてから、なんとか通訳無しで仕事を出来るようになった。

アメリカ人同僚とも仲良くなり、定時後に一緒に飲みに行ったりすることも多く、英語の勉強と言う意味では非常に良い機会に恵まれたと心底思う。
もちろん、プロジェクトも大変だったんだけど、プロジェクトの遂行よりも英語のほうが、人生にとっての比重は重たかった。だから僕にとっては、仕事より英語のほうが大事な一年間だった。

さて、僕の英語に対する姿勢はこの1年でガラッと変わった。

何を一番伝えたいかと言われれば、
頭の中での翻訳を極力やめること
である。

例外は名詞。名詞こそは、単語力がモノを言う。だからどんどん記憶していくべき。これは日本語でも同じだと思う。名詞は覚えるしかないのだ。

ただそれ以外については、聞いた英語に対応する日本語を探して・・・と言うプロセスが頭の中にある限り、一線は超えれないと思う。確実に。

例えば動詞「make」を、日本語で「作る」と言う対応表が頭の中にある限り、日常会話に苦労することは間違いない。
会話をする時に、日本語から英語にすると思うが、それをしようとして出来ないと気付くことが、最初の躓きポイントだと思う。
相手の言葉が聞き取れないことは、躓きポイントにすらならないと思う。それは単に慣れだ。何度も聞き返したりしてると聞こえるようになってくる。
ただ、「聞き取れても意味がわからない」と言う場面がいくつか出て来る。それも第二の躓きポイントである。

  • 相手の言う単語を聞き取れる
  • 相手の言うことがわかる
  • 日本語を英語に直すことが出来る

一見、これで英会話は出来るように見えるが、僕はそれは高性能な翻訳ソフトがしていることを人間がしているだけと考えるようになった。
頭の回転の早い人は、英語から日本語への変換、英語から日本語への変換を非常に高速で行うことが出来るため、恐らく仕事上での英会話は困ることがないと思う。
でも、その翻訳のスピードと、「英会話が出来る」と言うことはまた別の問題だと思う。

つまり、僕がわかったことは、単純に言い直せば、「『英語脳』と言うのを肌で実感した」と言うことだ。
英語は確かにシンプルな言語で、単刀直入な言い回しが多く、結論ありきで話す言語である。
ただそれは文法的な側面を切り取って述べているに過ぎない。英語の一つ一つの単語には、英語の学習には欠かせない「コアイメージ」と呼ばれるものがあり、それをどれだけイメージ出来るかが、英語脳の出来具合にかかっている。

英会話はフィーリングだ、と暴論でまとめる気はないが、総じて言えば本当にその通りだと思う。この感覚だけは、通訳無しで、英会話を日常的にしていないと培われないと思った。

もう1年がけでやってきたプロジェクトも終わり。これで節目である。
今の仕事でもうアメリカに来ることはないと思うが、引き続き、別のプロジェクトのフォローに回ることが決定しているため、もしかしたらまた来るかも知れない。
英語で仕事をしたり、調べ物をしたりすることは当たり前になっている昨今、自分の英語の学習は継続的にやっていくようにしよう。
僕の3歳になった息子も、幼稚園で初等英語教育をやるみたいだし、息子に自身を持って英語を教えてあげることが出来る父親になりたい。