時代の節目を感じる


行き過ぎたコスト主義を見直すきっかけになれば良いね。
日本製品のあるべき姿ってやつを探し出す時代が来るかもだけど、少なからず不正をしている企業は、内部告発を恐れるあまり、従業員の懐柔に走るかも知れないね。

東芝神戸製鋼東洋ゴムなど、日本の大きな企業の不祥事が明るみになってざわついているにも関わらず、どの企業も上場廃止にならず、もう普通になっていることに違和感を諦観を覚える。
エンロンですら倒産し、リーマンですら上場廃止になったのに、端から見てまだ普通に企業活動を行えるだと?

こういうのが政治の力であるとは感じる。
そして大企業に潰れてもらっては困ると言う理屈もわかる。
そうであれば、結局は信賞必罰が機能していないことと同義だ。
ある程度大きくなり、日本の深部にまで入った企業は、不正をしても潰れない。潰されない。路頭に迷う人があまりに多すぎ、行政にすら影響しかねないから。

そこに垣間見えるのは雇用慣行の問題。
政治の力であっても、従業員たちに「次の仕事を斡旋してあげるからね」と言えない何かがあるのでは?
政治より先に解決すべき問題があると感じるのは、こういう理由だ。
政治は民意を汲み取る。だが、汲み取って動こうとしてもなお、どうにもできない何かがあるのだ。

神戸製鋼の問題は根深いと思う。
だが昨今の働き方改革も手伝い、「従業員を大事にせねば」というように社会が変わってくれることを期待する。
年功序列、終身雇用。そんなもの、あと30年も続くとは思えない。副業やリモートワーク、外資系企業の台頭で簡単に崩れる脆い信仰だ。日本企業のあるべき姿が問われて、業績低迷を続ける今の時代に、どういう力学が働けば、年功序列や終身雇用が続くことが出来る?