聴くたびに歌詞の変わる音楽

僕は時々考える。
ヘッドホンをつけて、Google play musicの再生ボタンを押したときにかかる曲は、何故いつも同じ歌詞なのだろうか?と。

曲と歌詞を分離して、歌詞の部分をハッカブルに出来ないもんだろうか。
VOCALOIDとかならまだ出来るのかな。
歌詞は曲と切り離されているようでいて、実はそうではなく、歌詞を発生する声も楽曲の一部というのが、ハッカブルなのを難しくしている。

非常によく出来た曲・歌詞だが、「ここの言い回しは違う方がいいのに」とか言うことがしばしばある。
だけど、視聴者である僕らには、その改変は許されていない。
カラオケバージョンに自分の歌詞を乗せることは出来るが、自分の声で歌う以上、そのアーティストの楽曲ではなくなる。

スピッツのコンサートで歌われる「けもの道」は、そのコンサート会場に合った地名を言うといった歌詞改変が行われている。

曲の○○バージョン、というものも存在する。カバー曲。リミックス。
最近聞いただと、エリック・サティのジムペディに歌詞をつけたmosaic.wavの歌が印象深い。

楽曲、歌と言うものは、創造物であるにも関わらず、ハッカブルになかなかならない。

カラオケは歌い手の変更。

「同じ曲だが、視聴者によって何かが違う」
そんなことは可能だろうか。
もしそれが可能なら、価値を持つのは一体何だろうか?
改変後の曲が如何に良くとも、改変されたものの一つである以上、オリジナルほどの価値はない。
楽曲は当初、作曲者によって作られた時に、ある意味世界が閉じている。故に、如何に改変可能になったとしても、オリジナルは不変の価値を持ち続けるのではないか?

昔は、音源に対するアクセスが難しかったので、そこに価値が発生した。
今は、オリジナルが簡単にネットワークに乗せられて、誰もがアクセス可能となったが故に、「聴くこと自体の価値」が薄まり、金銭を落とさなくなった。
ならば今後は、「改変可能な曲の中で唯一無二の存在感を放つオリジナル」としての価値、となるか?