大量生産大量消費の誤謬

恵方巻き、早くも大量廃棄 店頭に並ばないケースも…:朝日新聞デジタル

僕は思うんだが、昔と今では、大量生産大量消費の規模や意味が違うのではないか。

今の技術力で本気の大量生産をすると、昔と比べると比較にならないほど多くの物を作れる。
大量生産で大量受発注をし、大量消費をするということが、単純にスケールアップしたとき、物が余るのは必然的である。

小売店は、大量に仕入れた方が利益に繋がるから、もちろん戦略として大量に仕入れる。
しかし、コンビニのような、あちこちにある店が同じ戦略を取ると、「合成の誤謬」が発生し、消費は分散され、各店の売上は均され、期待より売れない、物が余る、という自然な状態が発生する。

そういうマクロな視点で見ると、「売上を増やすために店内で工夫する」というのは、あくまで最後の戦術だよなあと思う。戦略ではない。

極論、僕は生産の未来は需要予測ではなく、必要確定によるものだと考えている。
10個のコンビニが100個の恵方巻きを300人にどう売るかではなく、300人の恵方巻きを買いたい人がいつどのように生産チャネルへアクセスするか。
小売に欲しいというのではなく、消費者が生産チャネルに直接アクセスすることで、必要数の確定から物事が動くため、物が余らない。
物が余らない社会は非常にエコだが、非経済的だ。
生産して消費するという経済の根幹は、果たしてロボットなどの新労働層の登場によって揺るぐだろうか。
非常に発達したルンバを、労働力として認めた先には何が起きる?

富の未来 上巻

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