人月商売への絶望と無価値感
先日、既存プログラムのアップグレードを実施しなければならないことになり、協力会社へ見積もりを取った。
その見積もり金額は、約200万。
金額の理由は、「この規模のアップグレードを行うには、これこれの作業をして、これこれの確認をする、それだけ動くのには、大体○○人月必要なんです」というものだった。
このアップグレード、ユーザーからしたら見た目にはまったく関係がなく、他システムとの連携の可能性が開けたくらいである。
さて、この200万円、果たして価値はどのようなものだろうか?
投資をするときには、必ず効果を求められる。
はっきり言って、ユーザーからする効果はゼロだ。今後、「あるかも知れない未来のために」の投資であれば、確定していない事柄の数字を並べて、仮想効果を弾き出せるかも知れない。
とすると、金を出す側の200万は、何に対して金を払うのか?
上記の内容だと、単純に「作業者の給料」である。
決して、「そのアップグレードの価値」ではない。ここがポイントだ。
僕はこの現実に、生産的でない現実に、絶望している。
価値に対して金を払うのなら、その仕事をする人はエンジニアと呼べるかも知れない。
だが、作業者の給料に対して金を払うとき、つまり成果物の価値がほぼゼロに近いとき、果たして仕事をしている人はエンジニアだろうか?
価値を生み出すのがエンジニアであり、やらなければならないことに価値を付加するのがエンジニアであると考えるのは高尚だろうか?僕は、そのくらいの気概は必要だと思っている。
なぜなら、「この仕事はこのくらいの金額でさせてください。我々の生きていく給料が必要なので」なんて言いたくないからだ。
当然、「私はこの仕事であなたにこれだけの価値を提案します。あなたがよければ、この金額を投資してみないでしょうか?」と言うほうが格好イイ。
プライドを持つことは、格好つけることだ。
エンジニアは、生み出す価値にプライドを持たなくてはならない。ユーザーは、価値が生み出されてから、はじめてのその価値に気づく。だからエンジニアは、ニーズベースではなく、与えるところから始めなければならない。
- 作者: Jr FrederickP.Brooks,Jr.,Frederick P. Brooks,滝沢徹,牧野祐子,富澤昇
- 出版社/メーカー: 丸善出版
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