部下に仕事をしてもらうということ
言うまでもなく、勤勉/怠惰と有能/無能の有名なマトリクスは、以下の組み合わせで成り立っている。
- 怠惰で有能な人
- 勤勉で有能な人
- 怠惰な無能な人
- 勤勉な無能な人
僕が部下として扱える人間は今のところ5人いる。
その5人を分類する前に、それぞれの定義をはっきりしておきたい。でないと、感情的な分類になってしまう。
まず、勤勉というのを、「自主的に仕事をする」ことと定義する。怠惰はその逆、「言われたことしかしない」。
次に、有能を「仕事を定時で終わらせて帰る」または「やること/やらないことを切り分けることが出来、定時内で集中して終わらせる」とする。
となると無能は「仕事が定時で終わらない」または「優先度/緊急度が自分で定義出来ず、無駄に過ごす時間が多い」となる。
この定義で行くと、僕の部下は、
- 怠惰で有能が4人
- 勤勉で有能が1人
という分類になる。
つまり、品質や長期的・戦略的な成果や過程はともかくとして、定時で上がる部下がほとんどだ。
翻って、上司を分類してみよう。
厳密に上司でなくとも、何らかの形でレポートラインにいる人を上司とすると、僕には上司が5人いる。
その分類は、
- 勤勉で有能が2人
- 勤勉で無能が2人
- 怠惰で有能が1人
となる。
端的に言えば、僕が困ってることは
- 仕事全体が長期的展望に欠けている
- 有り余る仕事量に関わらず、部下が定時で帰る
部下に仕事を振るのは上司の仕事だし、それがうまくいかないのは上司の問題である。仕事を振られた方には責任はない。
ここまで書いていて、自分の中での結論が出てしまった。
部下に、部下であること以上を求めてしまっているから、うまくいかないのだ。
部下もいつかは立場が逆転し、仕事を振る側へと変化する。
ここの変化は、怠惰から勤勉への変化である。
この変化を求めているのだ。給料も変わらないのに。まるで夏が終われば秋が来るかのように自然なものとして、皆の意識にある。
これは驚くべきことだと思う。暗黙的なキャリアパス。
部下の立場からして、「給料が変わらないなら責任を増やす理由はない」と言う判断をすれば、上司側の「部下を育てる」と言う意図、つまり上記の暗黙的キャリアパスのレールの上に載せるということが不可能になるのだ。
現在の日本のキャリアパスにあっては、上司は、部下を部下として扱うと同時に、部下を上司としてあってほしいというダブルスタンダードを抱かざるを得ない。それが如何に難易度の高いことか。それが如何に多様性を封じているか。
今の若い連中は、少なくとも「長く働くことが美徳」だとか、「滅私奉公すべし」などとは考えない。
仕事を振る側の人間は、振る先の人間がレールに載っているという前提を捨てるべきではないだろうか?
- 作者: D・カーネギー,山口博
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