採用時点での間違ったアプローチ

部下に仕事をしてもらうということ - Anything changed in the decade

僕は上記記事で、部下は部下であると同時に、自発的に行動出来る上司としての役割を求められているのではないかという疑義を持つに至った。

おそらくそれは間違った直感ではない。日本社会の総合職などは特にその傾向が強く、初めは言われたことをやるが、そのうち誰かに指示し、皆を率いていく役割を暗黙的に押しつけられている。そのプロセスは段階を経ない。じわじわと、シームレスに、まるでほんの少しの隙間から入ってくる水漏れのように、誰にも言われずに侵食してくる。

言われたことをちゃんとそつなくやっていたら、いつの間にかそれだけでは評価されなくなっていた、というわけだ。

実務者と管理者には大きな違いがあるという。実務者として有能だった人が、管理者としては有能ではない、といった類いの話は枚挙に暇がない上、ピーターの法則などとしても喧伝されている。
日本社会のキャリアパスにおいて、実務者の次は管理者なのだから、ピーターの法則によって無能な管理者が多くなることは避けられない。

さて、僕は、こう思う。

自発的な人間には自身で判断/行動出来る裁量を与え、自発的でない人間には誰かの指示で行動してもらう。それが適材適所であると。

自発的な性格でない人に自発的になってもらうエネルギーよりは、初めから自発的な性格の人を雇う方がエネルギーは少ない。

畢竟、元とは違う性格に変貌するのは、成長ではなく、もはや洗脳である。

十把一絡げに新卒採用し、そこから人材育成と称して性格改造を行い出世街道のレースに皆を乗せるよりかは、

リーダーとしての資質を持つような人材を面接で見極め、最初から裁量を与えて人を率いてもらうほうが、ステップとしては合理的だ。

そしてフォーカスは採用面接に移る。
「リーダーがいない!」「リーダーではなく有能な実務担当者がいない!」などと、固有の性格を持つ人材の不足を嘆いている組織は、人の性格を変えることに失敗したのかも知れないが、それは最も難易度の高いことである。つまり、採用から始まって人材の活躍というプロセスの中に、「成長」ではなく「性格の変質」が含まれているとき、初めから間違えているわけである。アインシュタイン曰わく、「人の性格を変えることは、原子の性質を変えることと同じくらい難しい。」。

だから、そう、結局僕が悩んでいた問題は、「部下が育たない」ではなく、「人の性格を変えられない」というものであり、それは無理だよという結論だ。

しかしそう考えると、「面接の必勝法!」みたいなノウハウは、クソの役に立つどころか企業組織にとって有害だな。自発的でない人間が、面接で自発的かのように見せるノウハウを駆使した先にあるのは…?そう、悲劇だ。こんなはずじゃなかった、自分ではない自分が求められる。あいつは面接でウソをついていた。しかし解雇をすることも出来ない。
そうして歪みは大きくなる。大きな歪みが多くなると、組織は変質する。変質した組織が多くなると、社会がおかしくなる。

アインシュタイン150の言葉

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