RPAの行き先と、結果分類される意味

飛ぶ鳥を落とす勢いでバズってるRPAであるが、その先行きには僕はとても心配を感じている。
自動化は結構なことだが、自動化しようとしている対象について、理路整然と言語化出来んの?って感じ。

例えて言うなら、漢字を正しく書けない人が、「OCRってやつを使えばうまく漢字を読み取ってもらえるんだろ?」と期待しているかのような同質さを感じる。

業務の行間を全て言語化するのは、きっと容易ではない。
それが出来たら、SierによるIT業務効率化はきっと出来てる。
Sierにプログラムを作ってもらって、不具合以外の要因で「これじゃないんだよなあ」と思ったことがあるなら、RPAが想定の結果を出してくれるという期待を裏切られる確率は、より1へ近付いただろうよ。

RPAをうまく利用するには、誰かに正確に理路整然と伝える事が出来る、が前提となる。聞く人に行間を読ませるとか、「ここはいい感じで」とかのニュアンスなどは大敵だ。あなたの価値観は、コンピューターにはつたわらない。

働き方改革の波に乗って一大ビジネスになっているRPAだが、果たしてその向かう先は…?
とはいえ…僕は思うが、RPAをうまく利用出来た・出来なかったという結果分類は、その後の来るべきAI社会への適応可能性を著しく示すものなのではないか…と…

富の未来 上巻

富の未来 上巻

富の未来 下巻

富の未来 下巻