映画「ボーダーライン」を観た


出張中の時間のある夜に、Amazon Prime を利用して視聴した。

僕自身、久しぶりに映画を観るということもあり、非常に集中して見れた。

しかし、集中して観ることが出来たのは、久しぶりということだけではなく、この映画がまるでドキュメンタリーのように進行するからであろう。

BGMはほとんどなく、雑音や雑踏の音、銃撃の音や車のエンジン音やタイヤが転がる音だけが聞こえ、あとはキャラクターたちの話し声のみ。

主人公であるケイトはFBIのエージェントで、いきなりメキシコのカルテルの捜査に巻き込まれ、今までとはまったく違う世界を見ることになる。

世界の全貌すら見えず、捜査の内容や意図も明かされず、法の及ばぬ地域で非人道的で非日常的な光景を目の当たりする。

しかし、視聴している僕には、それがまるで現実の世界を映し出しているかのような緊迫感を感じた。

これはメキシコの麻薬戦争の一部を映し出した映画だが、それが一部だとしても闇が広大であることを悟らせることが出来るような展開。
重要な登場人物が既に買収されているのか、それとも別の目的があるのか、全てを疑いたくなるシナリオ。
子どもたちが無邪気に生きている隣で起こっている、現実と思いたくない凄惨な事実。

これは映画だ。現実ではない。

だが、限りなく現実であると言い切ることが出来るほどの説得力のある映画。

僕は視聴後、麻薬戦争についてネットでいくらか調べてしまった。これがどこまで現実なのか、知りたくなったからだ。

そして、僕は現実は映画以上であることを思い知った。映画は当然だが、まだ「放映出来る」レベルであり、「起承転結」があり、「オチ」がある。

現実は恐らく、どれもない。

さて、話は変わるが、僕は10年前くらいから、映画より海外ドラマのほうが好きだった。
海外ドラマのほうが尺が長い分、より物語を精密に描けるから、深く世界を楽しめるから、と言うのが理由である。

だが、こういう映画を観るたびに、限られた尺と決まりきったエンディングで、テンポよく観るものに新鮮な驚きを与え、関心を与え、現実を顧みさせる、そういう映画もまた、とても貴重なものだと、改めて再認識した。

世界を、人生を、考えさせてくれるのが、良い映画というものなのだ。