言葉の持つ威力

成功者はゆっくりと歩く。何故なら、余裕を持つことを意識しているが故に、人生や器にも余裕が云々

成功者は急いで歩く。何故なら、時間を無駄に姿勢こそが他と違いを作る唯一の方法だと知っている云々

おわかりの通り、上記は言葉遊びにすぎない。
内容に意味はなく、適当に、矛盾しない程度に単語を並べたにすぎない。

嘘をついているわけではない。嘘は良くない。嘘とは、事実と異なることを言うことに他ならない。ならば上記
は嘘ではない。

しかし大事なことは、こんな意味のない言説にも、時々は人を動かすことが出来るという事実である。
また、こういう言葉を適切に、相手と場面を選んで慎重に使うことで、人間関係を非常にうまく構築できることがあるという点もまた忘れてはならない。

相手に迎合すべきときは、相手が喜ぶ言葉を選べばいい。
それが自分の本心と一致していたなら、おめでとう、君は同志を発見したね。

言葉は武器になる。あらゆる意味でそうだ。
だから、言葉は、道具であると認識しなくてはならない。切り傷が癒えることのない刃であると認識しなくてはならない。

本心を言うだけが言葉の使い方ではない。

言葉を組み合わせるだけで、それが表す意味に対して自分がどう思っていても、一度聞いた側からすれば、もう脳裏から離れないのだ。

たとえば、

あなたは…その、言いにくいんですが、ちょっとチャラいですよね

こんな何気ない一言でもそうだ。
相手がどう思っていても、聞いてしまったら最後、頭から離れない。

これが自分の意見でないという意思さえハッキリしていれば、この言葉を出すことは、自分で状況を変えることが出来ることを意味する。

相手に言葉が届いたとき、状況は変わり始めている。
逆に、状況を変えたければ、言葉を出すのだ。

強い言葉は聞いた者を変質させる。それが例え自分自身であろうと。
だから注意しなければならない。

自分自身から出た言葉は、自分の本心であると錯覚しがちだ。
だが、「言葉はただの道具に過ぎない」としっかりと認識し、言葉に惑わされない強い心を持つことで、周囲を変質させる力を持つようになれる。

その後、言葉を操れるようになったあとに来るのは、「自分の本心はどこにあるんだろう?」という自己喪失だ。

とても踊りの上手なムカデさんがいました。
カエルさんは、踊りを教えてもらおうと尋ねました。
『ムカデさん、なんで君はそんなにうまく踊れるんだい?
最初のステップで、上から80本目の足を前に出して、そのすぐあとに下から20本目の足をひっこめていることがコツなのかい?』
そう聞かれたムカデは、もう踊れなくなりました。


自分すら意識していなかったことを、強制的に意識させられたとき、人はもう元に戻れなくなる。これは大変怖いことだ。
だから言葉は使い方に注意が必要だ。何度でも言う。

ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙

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