若者たちの時代

最近、若い人たちを指導したり研修したりすることが多く、自分なりに教育などを考えることが多い。

主語が大きい話にはなるが、最近の20代の人たちに共通して見えるのは、「無駄なことはしたくない」だ。
それが何かと言うと、自分自身の得にならないことはしたくない、ということ。
役割はまっとうするが、自分から役割を取りに行くようなことはしない。

例えば、

「これをやりきると、きっと君の成長になると思うよ」といっても、「だから何?それで給料上がって残業せずに帰れるようになるの?」

例えば、

「プロとして金もらって仕事してるんだから、ちゃんと勉強しながらきっちり品質上げていかないとね」といっても、「それは個々人の問題じゃなくて会社の社員教育の問題ですよね」

そんな感じで、目に見える形なくモチベーションを上げることがとても難しい。

もちろん僕は昇給や査定をする立場ではないから、そういった割とメタなことを言っても、それで彼らが動くわけではない。

本題はここからで、これは僕は悩んだとか困ったとか言う話ではない。

上記の会話は、社員の努力に対する見返りについての話である。
彼らはそれを求めている。だけど、彼らを指導する僕はそれを与えることは出来ない。
これは構造の問題だ。
多くの管理職は、それを個人の資質の問題だとみなすだろう。
だが、僕は時がたてばそうみなす人は少数派になるだろうと思っている。何故なら、それに同意する人が年次と経験を重ね、そうした価値観が中心に来るからだ。
老いた管理職は引退し、働き盛りは一線を引く。ひよっこは前線に出て、一人前になる。

時間は、構造を変化させる。
10年後にメインになるのは、今権力を持つ管理職ではなく、商売の主戦力になる若者たちだ。

つまり、若者たちのモチベーションを上げる方法を模索することこそ、会社が存続する道だと言える。

今までは、終身雇用の名の下に、会社を存続させることこそがモチベーション維持に繋がっていた。

だが、もう時代は変わった。頑張っても目に見えた報いもないなら、会社を変えるだけである。それは競争原理の視点からはとても自然である。

若者たちは、成果と報酬の目に見えた連動を求めている。
やりたいことはやりたくないし、やりたいことで楽をしたい。

価値を持つのは、「やりたくない仕事をする人」と、「最小の労力で最大の成果を生み出す人」。
その価値を持つ人材に、きちんと報酬を与えることこそ、モチベーションが維持される条件だと愚考する。

そうしたことが制度として稼働するためには、まずは「やるべき仕事とそうでない仕事は何か?」「終わらせる仕事とそうでない仕事は何か?」ということを徹底的に考えなきゃならない。

生産性がいつまでも上がらないのは、ここの議論をしないからだと個人的には考えている。
だから、仕事の定義や成果やゴールの明文化を始めたときが、変化の時だ。

若者たちよ、恐れるな。君たちが頑張らないことで、会社が儲からないことで困るのは、老い先短い人たちばかりだ。君らの人生が、年寄りに依存してるわけじゃない。逆だ。年寄りの人生が、若者に依存してるんだ。人生を賭けた持久戦を持ちかければ、100パーセント勝てる戦いだ。だがそれには持久戦を生き延びるだけの戦略がいる。考えるんだ。考えれば勝てる。必ず。