ブラジル出張を通じて日本と比べて思うこと
ブラジル出張も2週間が経過しようとしている。残りあと1週間。
基本的には会社とホテルの往復なので、そんなにブラジルを堪能しているわけではないが、僕の見る限りで雑感を記していこうと思う。
もちろん、僕の観測したものであるので、偏見にまみれたものである。とても「ブラジルとは…」なんて主語の大きい話になんて出来ない。
治安
街を歩いているだけで、他の国とは違う危険さを感じる。浮浪者もよく見かけるし、道路がガタガタで整備されていない。
そしてまず目につくのは、建物のセキュリティ。僕が見る限り、以下のレベル5まであった。
- レベル1(セキュリティ無し)
- 誰でもすんなり入れる場所。街角のちょっとしたショップや食べ物屋など。
- レベル2(警備員立哨)
- 建物には誰でも入ることは出来るが、武装した警備員が入り口に立っている。大き目のショッピングモールや、ちょっと良いレストランなど。
- レベル3(建物に柵)
- 建物の入り口が、柵のドアから入るしかない建物。何らかの鍵がついている。監視カメラや破壊を探知した通報装置などがありそう。
- レベル4(建物に柵+有刺鉄線or電流鉄線)
- レベル2よりもさらに侵入を難しくしている。
- レベル5(建物に柵+警備員)
- 柵のドアが、内部の警備員によってしか開かないようになっている。人が居住するコンドミニアムなど。入る時には、警備員から住んでいる人に確認の電話をしたりする。
物価
食料自給率が高いせいか、基本的には食べ物は安い。特に肉は安い。ビールも安い。水を買うよりビール買った方が安い。
その他は特に変わらない。為替のせいもあると思うけど。オリンピック当時はレアル高で、外国人からすると物価が高かったんだと思う。
文化
日曜日にフリーマーケットに行って感じたことだが、手芸・創作に関する文化は、特筆すべきことは見当たらない。
日本があまりに時代を進んでおり、何を見ても、古く感じてしまう。
日本の、手作りバザールなどに妻とたまに行くことがあるが、それを思い出しても、日本は異常なまでのクオリティの高さ。
何がそんなに違うのかを考えると、日本で出されている創作・手芸に関するもので凄いと思うのは、「純粋なクオリティの高さ」か「独自のキャラクター性・世界観を作り上げている」のいずれかだった。
特に後者は大事で、漫画やアニメの影響がそのまま手芸などに色濃く反映されていて、読み物などではないのだが、何か別の世界観から飛び出してきたような、そんなイメージを抱かせる商品が多い。
ブラジルのフリーマーケットで感じたことは、「クオリティは高いけどそれ以外の感想がない」と言うものだった。日本と比べればわかるが、あるのは世界観の欠如。
日本の手芸は漫画・アニメの要素を取り入れることで、元々のクオリティの高さに加えて、さらに他国では追随出来ない付加価値があるように思う。
人種
ブラジルは移民の国なので、様々な人種がいる。コーカソイドが目立つ。
基本的に肉が主食の国なのに、肥満体型の人はほとんど見ない。アメリカじゃ肥満体型の人がほとんどだったのに。
男は筋肉質で女性は巨乳巨尻。性がすごくはっきり身体に出ている。
自然・気候
今は冬の終わりだが、太陽が出ている昼間は半袖でちょうど良いくらいに温かい。
ブラジルは低緯度から高緯度まで幅広い面積を持つので気候は一概に言えないと思うが、僕が来ているところは大体台湾くらいの気候らしい。
一番寒いときでも0度を下回ることはなく、故にコーヒーの生産が出来るくらいには温暖な気候。
にわか雨が降ることは多いが、それ以外の気候の乱れはほとんどない。
基本的には自然災害とは無縁の国のようだ。地震なども起きないため、天災に対する避難訓練なども存在しないらしい。
地震の発生しない国ならではの建物も多く、「こんなん地震あったら絶対全壊するやろ」って言う建物も多い。
日本じゃそういう建物もしっかり耐震しているのだろうけど、地震起きない国はそんなことにお金をかける意味もないので、絶対に地震に弱い。まあ地震起きないんだけどさ。
観測史上でもサイクロンが発生したのは1度だけらしいし、本当に自然災害の心配がない国。そういうところは、災害大国日本からすると非常に羨ましい。
日本へ思うこと
ブラジルはオリンピックのために財政で無理をして、その余波が今も様々な傷跡になって残っていると推測される。
先日の国立博物館の全焼もそうだと言う憶測をネットで見た。
日本は今はオリンピック開催に向けてありとあらゆる取り組みを強化しようとしている。サマータイムしかり、自動運転タクシーしかり、東京での英会話率向上しかり。
オリンピック前に日本の総力を上げて財政出動させて取り組んだツケは、オリンピック後に間違いなく来る。
この言葉がウソになるのは、ツケなくオリンピックを迎えることが出来たときだけだ。そしてそうなることはまずない。
僕ら日本人は、オリンピック後に、どういう景色を見ている?
わからないのなら、せめて見たい景色を描いていきたい。
皆で描いた景色は、いつか現実に見えるものになるから。