仕事の定義と支払われる給料の意味

残業抑制の風潮とメンバーシップ型雇用の行き着く先は暗いと感じている。

以下は、そこそこ能力の高いA君。多忙だが、会社と心中するほど献身的でもない。

管理職「早く帰りたまえ」
A君「ウィス、早く帰ります」
管理職「仕事が終わってないのに何で帰るのかね」
A君「仕事量が個人で捌ける量を超えてるからです。海外出張しながら他の複数案件を回すのは物理的に無理です。ワークライフバランスのためにも早く帰ります。仕事の全体調整をするのは管理職の仕事でしょ?」
管理職「」

メンバーシップ型雇用の元での管理職は、自他含め、仕事の定義が難しいと思う。人に仕事をあてるやり方だから、上のような返す言葉には無言の怒り以外に返せる論理的な返答がないのだ。

昨今起きている社会的変化によって、人のリソースは有限としながらも、パフォーマンスを高めるための方法論を求める傾向が強くなってきている。

畢竟、人材不足が叫ばれるのもむべなるかな。

他方、下記に示すような、やる気のないB君のような弊害のような例もまた、出てくるのも当然かと思う。

B君「仕事したくありません。そんなに仕事出来ません」
管理職「この仕事をなんとしてでも終わらせなさい。残業してでも」
B君「残業したくないです、品質下げてでも適当でも終わらせます。」
管理職「毎日定時で帰ってるなら、他の人との仕事量平準化のためにもっと仕事増やす」
B君「みんなが毎日定時で帰れるように仕事量とリソース量を調整するのが管理職の仕事じゃないんですか」

ようは、「自分の出来ないことは管理職の怠慢」というように問題をすり替えているわけだ。まるで、「成績が上がらないのは先生が悪い」と駄々をこねている生徒のように。実際この論の悪いのは、全否定出来ないってことだ。
教育制度や研修体制がしっかりしてたら、出来たかも知れない、というifの世界に速やかに突入する。

メンバーシップ型雇用でこれをやられると、管理職は言い返せない。
せいぜい、上司命令に従わなかった罪で口頭注意されるくらいだが、強制力が強すぎる言動をすると簡単にパワハラ認定だ。

こうした終わりのない悲劇の底には、そもそも
「仕事とは何か?」
「A君やB君の何に給料が払われているのか?」
という議論がかけている。

管理職から「君たち、給料分の仕事をしたまえよ」と言ったところで、「給料分の仕事ってなんですか?」に答えることが難しいんじゃないだろうか。