社会構造が個々人の表層を規定する

「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された | BUSINESS INSIDER JAPAN

これを読んで感じたこと。

国や文化によって、理不尽の量や確率はほぼ同じだと仮定する。

その時、日本社会のように成熟し、個人の努力よりも、「どのレールに乗るか」が重要で、何らかのレールに乗ればある程度安泰という状況のとき、最も恐ろしいのは「レールから落ちること」であり、つまりは「如何にしてレールから落ちないようにするか」を徹底することが、安定した人生を生き抜く賢い方法となる。

ならば、思いやり・人助けと言った行為は、どうだろうか?
理屈に合わない理不尽が一定の確率で潜み、社会的好意や人間的善意が自分に牙を剥いて襲いかかってくる可能性があることは、「レールから落ちる」可能性と整合しないだろうか?

日本人が無関心になったのではなく、無関心であることが最大の防御となる社会構造になった、という話なのでは?

孤独をたのしむ本―100のわたしの方法

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