あるユーザー企業システムエンジニアの心境

今の僕の心境を記していきたい。
特定を避けることと、誰にでもわかりやすいよう、たとえ話で書いていく。

          • -

男は釣りが好きだった。海に行くこと、魚を釣ること、魚の種類や性格を覚えること、釣った魚を食べること、とにかく釣りが好きだった。

好きが高じ、釣りの技術や魚の知識はそれなりについた。

ある時、男はとあるグループに入ることになった。聞けばそのグループでは、釣りをすることを生業としており、難しいことはよくわからないが、世のためになっているらしい。

男は持ち前の釣りの知識と技術を総動員して日々を過ごした。重宝されることが嬉しかったし、今までの知識と技術だけでは補えないことがあることも、そのグループの活動を通じて理解することが出来た。

日々の釣果は上々で、普段見る魚に関する知識も頭打ちになることが実感出来るほど、少しだけ万能感を感じることが出来るようになった。

年を重ねるにつれ、自分自身が釣りをすることが少なくなってきたことに、男は気付いた。
グループのために知識を共有し、釣果が悪くなりそうなときには一肌脱ぐこともあったが、全体としては釣りをすることが少なくなった。

グループの活動範囲が広がるにつれ、自分の活動範囲を超えた物事の見方をする必要が出てきたため、男は若人たちからの報告を聞き、指示をし、時には指導し、全体としての釣果を管理するようになった。

男は考えた。「自分で好きに釣りをする時間は作れるが、他の釣り場や他の村ではどうやっているんだ?」
男の知識や技術は長年更新されておらず、だからといって自分が時代遅れだと感じないほどに無自覚ではなかった。

時々耳に入ってくる、新しい釣りの技術、見たこともない魚の種類、たくさんの釣果をあげるための方法論など、興味をそそることは多かった。

男に家族が出来た。待望の男の子で、すくすくと育った。子育てをしているときには自身に余裕はなく、ふと悶々とした気持ちになることはあっても、家族を顧みずに自分のしたいことをする軽挙へは至らなかった。

相変わらず男は釣りから離れていたが、もはや自分が釣りをしなくても家族の明日の飯の心配をせずとも良くなっていた。

もはや、男は、釣りで生計を立てているとは言えなかった。男のやっていることは、伝え、教え、数えているだけだった。

一方で男は気付いていた。
自分の持ち場の海がだんだん汚くなり、魚は減り、グループから抜ける者も増え、逆に入ってくる者も減っていることに。

自分なら釣り道具は綺麗にしておくが、若人はそうではないらしい。聞いたわけではないが、ここに来ると食うには困らないから来ているというだけで、特に釣りが好きというものでもないらしい。自分にとっては少し苛立ちを感じるが、自分だけでは維持できないほどグループ規模は大きいので、彼らを無碍に扱うことも出来なかった。

若人たちの言うように、食うに困ることは恐らくなさそうだ。目に見える環境の変化こそあれ、それが牙を剥いて自分の人生に襲いかかってくるとは今はまだ思えなかった。

日々を追うごとに耳に入る他の地域の様子。

他のグループは魚の釣り方を大きく改善し、より良い釣果を手にし、さらなる高度な釣り方の研究へ一歩踏み出しているらしい。

他のグループは良い釣り師を良い待遇で迎え入れることで、更なる釣果を得ているらしい。

どうやら今の男の知識も技術も古めかしいようだとハッキリ気付いた時には、自分が若人たちに教えることそれ自体が恥ずべきことのように感じてきた。

仕事を終えれば、家では家族が楽しく過ごしていた。
家族は明日も変わらず安心出来る日々が来るものだと信じている。
それは自分が提供しているものだと言う自覚もあるし、自分のわがままで簡単に壊れてしまうだろうことも容易に想像出来る。

しかし自分は何がしたい?何故このグループに入った?何をすることが楽しかった?何をして嬉しかった?

今のグループを抜けて、家族は変わらぬ安心を得られるのか?
今のグループを抜けて、自分は本当にやりたかったことが出来るようになるのか?
若人たちを教えていくことは年長者の義務であることもまた気付いた今、時代遅れになった自分の知識と技術を更新しながら、昔のように最前線で感謝されるとでも?

繰り返される過去の記憶と未来への不安と環境の変化に対するリスクへの思考。

思考を遮断する家族の笑顔。自己犠牲への陶酔。

そして、ああ…また海が汚れ、魚が減っている…