盲信と検索

「これは間違いない!」と思うことほど、検索することから遠ざかる。

盲信は盲目的確信であり、自信を裏付ける検索という行為に対して背信的とも言える。

自分の知識や常識が検索結果によって覆されるシーンは多々あるが、検索しなければ自信の世界は保たれる。

もちろん、だからこそ、疑いを持つことは大切なのだ。自分の常識を疑うこと、自分の確信に待ったをかけること。確信は停滞である、とも言える。

けれど、他人は否定するが自分が信じてやまないことが案外真実だったということも、当然ある。科学史などは特にそういう傾向が強く、実験と論証と盲信の繰り返しである。

そうした事象は、なんらかのブレイクスルーであり、今まで積み上げてきたことが根底から瓦解する。ありていに言えば「世界が変わる」。

さて、検索結果で確信を得ようとしている現在、その確信が盲信でない証拠があるだろうか?
400年前にGoogleがあったとして、「地球 回っている 証拠」などと検索しても、出るのは天動説を支持する記事ばかりだろう。

遠い未来に、過ちだった過去だとわかる今を生きている僕らにとって、絶対的真実なんていうものが数学以外ないということが唯一言えることであろう。