仕事の生産性を上げて給料が上がる

僕はその決まり文句を聞くたびに思う。
普通のサラリーマン従業員には、無縁の話である、と。
生産性を上げた結果、会社に利益が出たとする。それが、賞与と言う形で社員に還元されることはあるだろう。
だが、「生産性を上げた本人の給料が上がる」か?

他の社員と比べて、多少賞与支給額が高くなる…そういうことはあるだろう。
だが、基本給に反映されるだろうか?生産性の高い社員が、基本給で上司を抜くことがあるか?
会社にもよるかも知れないが、あまりポピュラーではないのではないかな。
部長課長クラスになると、人員を管理する役職上、当然部下の給料について把握する必要がある。人件費はキチンと管理すべき費用だ。「いやあ、あいつがどんだけ給料もらってるか、わからないよ、ハハハ」なんてのは笑えるが笑えない状況である。

そんな、予算管理を行う立場にある人が、「あいつは生産性が高くて明らかに利益を生んでいるから、基本給を月5万上げてやろう。おっと、そうしたいが会社の規定がそうなってなかった。その上、部長のオレと同程度、課長の給料よりも高くなってしまうじゃないか」
ここまで来て、「まあそれでもいいか」となるところは、日本ではほとんどないんじゃないかな。

例えば、40人で100メートル徒競走をしたとして、全員少なくとも20秒以内で走ることが要求されているとする。
この時、合計時間の「800秒」が売上目標、売上予算とする。秒数が少なくなれば「利益が出」、多くなれば「赤字になる」。

さて、ある人は、100メートルなら全力を出せば13秒で走れる。合計時間は793秒になり、7秒の利益が出る。

この出た利益の7秒を、他の40人にも還元しよう。他の足の遅い人が27秒になっても、大丈夫だよ。

これがチームプレーである。弱きを強きが補う。素晴らしい。

さて、タイトルの通り、「生産性を上げて給料を上げよう」というのは、13秒で走って、7秒分の利益をもらおう。という企みである。
これが可能なのは、他の39人も生産性を上げ、合計時間が520秒になり、一人当たり7秒還元して良いという場合のみである。
基本給に反映されるとなると、恒常的にそういうことが行われてなくてはならない。

そんなことが会社の規定上、現実的に有り得ないから、13秒で走れるところを、だらだらして18秒で走ることになる。つまるところ、余力があるのだ。

仮に13秒で走って、自分の稼いだ7秒が自分の所得になるなら、誰だって全力を出す。

全力を出しても自分に得がないから、人は全力を出さないのだ。

簡単な話だ。何故共産主義より資本主義になったか考えてみればいい。

会社の規定が共産主義的である限り、生産性が従業員に還元されることはない。

逆に、「上がった生産性」を「上げるべき給料」に即換算出来るような仕事はそうないんじゃないかな。生産性の定義は難しい。大抵は、効率と一緒くたに考えられるが。

10日で終わる仕事を5日で終わらせたなら、それは元々5日で終わるはずの仕事だった、見積もりが甘かったね、と言われて終わるのが現実だ。

この辺のことについて考え出すと路頭に迷うのでいったんここで今日は終わろう。