働き方改革の本質

ふと頭によぎった。

働き方改革とは何なのか?つい、その目的などを色々考えてしまうが、本当は目的は本質ではないのではないか?

働き方改革とは、それによって得られるものは副次的なものであり、その本質は「手段の多様化」であると思う。

IT技術とセットで語られることが多いのも、旧来の手段から脱却出来る可能性があるからだ。

その視点を前提すると、うまくいかないことの理由が腑に落ちる。

働き方改革の目的を「残業削減」に絞ってしまうと、「如何にして効率よく仕事を捌くか」という方法論に行き着いてしまう。

目的を「利益率向上」に絞ると、「生産性向上」という、指標ありきの分析へと目が移る。

そういう目的、成果を働き方改革に求めてしまうと、そこからブレイクダウンされる方法はぶれてしまう。

目的そのものを「多様な手段を試すこと」という手段それ自体にすると、今度は「どうすれば試すことを試せるか」という発想になり、それは手段ではなく制度でないと解決できない帰結になる。

ここで、働き方改革の目的を「制度を変えること」と過程をすっ飛ばしてしまうと、それに対しての手段が検討され、制度を変えることによる効果などが検討され、効果ありきの制度が生まれ、なんだかよくわからないことになる。

そう、本質は「手段の多様化」だ。

手段の変質でも手段の変更でもない。手段を増やすこと。それこそが、働き方改革の本質である。

手段を増やすことは、目的を設定しないことが肝要だ。

目的を設定すると、必ずそれに対する達成手段が、科学的アプローチによって検討される。

そうではなく、手段そのものの検討、試行、適用といったプロセスは、研究と許容の文化だ。そう、文化なんだ。企業文化の変質。なるほど、そう考えると、働き方改革も、悪くない。