素朴な疑問

昨今、日本じゃ高齢者増加アンド少子化が加速しており、このままだと日本の人口減っちゃうよ!なんて言われている。

一方、世界の人口は70億人を突破しており、世界がパンクしちゃうよ!なんて言われている。

世界の人口が増えてる理由は、医療技術の発達や、食料生産技術の発達。

日本は、仮にも先進国であり、医療技術や保険制度は世界でも先端にいる。

なんというか、この矛盾したかのような現象はなんだろう?

日本人である自分から、なぜ少子化が進むのかを考えてみると、色んな要因や言い訳はあれど、総括としては、日本の未来に合わせる形に人口ピラミッドの変化が進んでるように思えてならない。

現在の社会現象は、未来を先取りしている、とも言える。

もし少子化が解決されれば、当然未来は変わる。経済的に明るい未来が待っている。
少子化が解決されないなら、当然悲観的な未来が待っている。

何故子供が生まれないか?社会を構成する僕たち一人一人が、未来を託したくないと超個体として意思を持っているからだ。

一方、世界の人口は、増え続けている。
もし資本主義の先進国では少子高齢化すると言うのが避けられぬ運命なら、人口爆発に苦しむ国が取り組むべきは経済の建て直しということになる。皆が裕福になれば、日本を始めとする少子高齢化が進む国のように、いずれは人口は減っていく。

本当に長い目で見れば、バランスは取れていると思う。
いくらここ数百年で急激に世界の人口が増えたとは言え、皆が皆、老いた両親がいたり、忙しい仕事をもったり、あるいは子供を産めないほど困窮して、社会格差により育てられないことが誰の目にも明確になったりしたら、人口は自然に減少するんじゃないだろうか?

単純な話だ。
経済は二次的な要因としてはあるが、人間は未来について考えることが出来る。
まともな教育を受け、まともに育てられた人なら、生まれてきた我が子の不利になるようなことはしない。親になって本当にそう思う。

人口バランスを保つ上で何より大事なのは、一人一人の教育水準であると言う、根本的な結論に僕はたどり着きつつある。

あなた方が生きている目的など、どこを見ても存在しないが、あなた方が生きている以上の価値は、どこにもない。

黒船?いえ、未来への足音です。

Amazonが日本でも定額制動画配信サービス開始、年額3900円のプライム会員向けに -INTERNET Watch

最近熱いね、こういう流れ。
こういうニュースを見るたび、僕が思い出す比喩がある。

ゴールドラッシュで最も儲けた人は金塊を堀当てた人ではなく、金塊目当てで来た人に対してツルハシを売った商人だ

と言うもの。

物事には必ず側面がある。

今回のNetfrixに端を発する、動画見放題関連の黒船来襲的なニュースには、ポイントがある。

  • 見れるインフラ
  • 視聴デバイス

僕はこの2つが鍵だと考える。

見れるインフラ

見たいときに、いつでもどこでも視聴可能な場作りのこと。
  • 場所

日本で言うと、まあ大抵の人はもうスマホを持っているから、場所についてはほぼ選ばない。
ダウンロード可能であればなおのこと。ストリーミングであれば電波環境はクリティカル。

  • 通信

通信インフラも整ってはいるが、実際は通信制限があるので、視聴出来る量には限りがある。
いくら動画見放題とは言え、3日で2GB、一月で7GBの通信制限は、実質的には屋外での視聴は難しいと思って良い。
だから僕は、この通信制限は撤廃もしくは緩和されるのではないかと踏んでいる。もちろん、条件付きで。

視聴デバイスとは

見たいときに、満足して視聴出来るデバイスのこと。

  • 座っているとき、立っているとき、移動しているとき、寝ているとき、どんなときも快適に視聴出来るデバイスはあるか?

家だとテレビモニタやPCディスプレイがあるから、特に問題にはならないが、やはり屋外。

スマホタブレットがメインターゲットと思うが、動画見放題のうまみを享受するには少し物足りない。画面が小さいのだ。コンテンツを楽しむにはこれで満足する人も多いだろうが、他人の目は気になるし、何より外界が視界にあると没頭出来ない。

動画見放題のうまみを最も引き出すことが出来るデバイスは、HUDやサングラス型デバイスだ。(サングラス型、というのは、外界からは中を見れないと言う意味で。Googleglassのように外界から、何が映ってるかわかってしまうのは動画視聴には適さない)

スマホタブレットと近距離無線通信して、目の前を劇場にする。観客は自分一人。映像も音声も自分しか視聴出来ないのでプライバシーは守られる。

そうしてこそ動画見放題の本当のうまみが味わえる。月額でも年額でも、金を出す価値はある。

また、上記の視聴デバイスは動画見放題サービスだけでなく、通信制限撤廃とセットになると時代が次に進む可能性を秘めている。

スピードラーニングだかなんだかで、通勤時間吊革に捕まりながらイヤホンで英語が勉強出来るとのことだが、視聴デバイスとしては貧弱だ。視界が外界を見ている状態で、垂れ流される英語を聞いて高い効果を得られるのは一部の頭の良い人だ。没頭出来る状況を作れるデバイスがあれば、そうした教育デバイスとしても優秀な結果を生むことが出来るだろう。

上記、個人的予想は、短期的には単なる妄想、良くてラノベの設定だが、長期的には間違いなく現実だ。

未来は既に現実にある。ただ、皆に行き届いていないだけだ。

想像出来る物事は、いずれは実現可能なことだ

生産性と抽象度

ジェネリクスは理解したけど、使いどころがわわからない…
純粋なアルゴリズムには使えると思うけど、業務アプリに使いどころが出てくるかどうか。

これは持論だが、あらゆる仕事の生産性は、いかに抽象的に物事を捉えるかと言うことで決まると思う。

標準化した作業やマニュアル化した作業が、なぜ生産性高くなり、また誰でも出来るのか?
それは、抽象的にデザインされているからだ。
標準化作業やマニュアルに、例外や分岐はちりばめない。

全ての場合を考慮された作業マニュアルは、既にマニュアルではない。
それは攻略本である。

日々の業務を抽象的に捉え、大きなパターンに分類されたとき、業務はマニュアル化することが出来る。

家族を守る保守性と、キャリアを開く攻めの両立

2歳以下の子供がいる開発者の日々の生活スケジュールを知りたい…一体どうやって自分の勉強時間を捻出してるんだろう。

僕の息子は現在一歳半。知能に比例してやんちゃ度が増してきて、目が離せない。パソコンを弄ってるとすぐに近付いてきて僕の太股に乗ってキーボードを叩こうとするし、Kindleで本読んでたらすぐに奪われて子供向けゲームのアイコンをタップされる。息子の成長を見るのはとても楽しいし、真の意味で無限大の可能性を持つ子供は心底守ってやりたいと思う。

一方、僕は僕で、エンジニアとして色々勉強したい。アウトプットの機会を多くすることで、長期的に得られるメリットも期待している。
だが、如何せん家にいるときに自分の時間がほとんど取れない。
子供が小さいうちはもちろんそんなの普通だと思うんだけれど、じゃあ小さい子供を持ってる他のエンジニアの人達はどうしてんの?と思う。
30歳で子供が産まれたわけだけど、30代はこんな感じで駆け抜けるように過ぎていくんだろうなあと感じる今日この頃。
でもそれを甘受してると、他の選択肢がなくなるぐらいには年を取ってしまうことは間違いない。

どう生きるべきか。子供が産まれてからは、より強く考えるようになった。それは親としての責任と、未来の不透明さに対して打ちうる策により広がりも狭くもなる自分の選択肢の幅。人生は自由だが、責任と制約が多い。ほとんどの人はわかりやすい人生を生きられない。マルチな制約の中で、色んなことを両立させて生きていく。

凡人である自分へ

私は凡人。だから、できることに集中して、やり続ける。 - 楽に生きる方法


普通に人と話してて目から鱗が落ちると言うことがかなりなくなってきた。

たぶん、理由は、ネットに溢れる言説が凄まじすぎるから。

普通の会話じゃ出てこない発想、機転、深慮、まとまった文章で、洗練された文脈で頭に入ってきて、心に突き刺さる。

どんなに人に感情的に訴えられるより、自分のペースで自分の頭の声で読む文章は、心に響く。
まるで、自分に言い聞かせているかのように。

おかけで日常で会話してても驚くようなことはあまりなくなったと思う。それはデメリットでもあるけれど、自分の中で色んな価値観が混淆している証しでもあると思う。

でも、なんだろうか、この無力感。
自分が色んな価値観に触れれば触れるほど、自分はそれらにはなれないんだと言う思いが強くなり、それを頭で言葉を使って理解するときには、自分は所詮は自分以外の何者でもないと言う結論になってしまう。

でも自分にはなりたい自分がいるんだ!
こうして僕は足掻く。死ぬまで足掻く。何者にもなれないことがわかっていても、それに満足出来ないまま。

5分間の音楽を1分で理解できる人などいない

どれだけ技術が発達して生産性が上がっても、人間の能力は大幅には向上しない。
相変わらず僕らは睡眠時間が必要だし、食事時間だって減りやしない。
音楽の定額制についても、どれだけの音楽が定額で聞けたとしても、一人の人間が聞ける音楽には限りがある。
視覚から入る情報に比べて、聴覚から入る情報は圧倒的にリニアだ。何枚もの絵をほぼ同時に見ることが出来る眼とは違い、耳は数種類の意味のある音声を同時に聞き分けることは出来ない。
仮に1日24時間をフルに音楽を聞くのに費やしたとしても、平均5分の音楽であれば288曲しか聞くことが出来ない。この上限は、人間であれば不可避だ。大統領であろうが、生産性の神であろうが、あるいはスラムに住む子供であろうが、誰にとっても聞ける音楽量の上限は変わらない。

そう考えると、全ての音楽をデジタル化してチェックするとき、作業量に上限が出てくるのは当然だ。
音源をある会社はmp3に圧縮して配信する。別の会社はaacで配信する。
音源が正しいから圧縮後も正しいとは言えない。もしかしたら音割れが発生しているかも知れない。デジタルで音割れがあるかどうかを検出する術があるかどうかは知らないが、ここではないとして話を進める。
5分間の音源一つに対しては、圧縮後の形式が3つあったとして、これの完全性のチェックをするのに、必ずのべ20分かかる。
定額制でカバーすべき曲が多ければ多いほど、当然ここの作業量は増えていき、減ることがない。

本当の人間の進化と言うのは、生物学的・技術的なブレイクスルーと言うのは、時間圧縮による情報取り込みだと思う。
もし5分間聞かなきゃわからない音楽を、1分間でわかるようになる技術があれば、それは時間圧縮だ。
速読の達人は常人の何十倍もの速度で本を読むらしいが、誰もが1分間で本一つの情報を取り込めるようになれば、それは時間圧縮だ。

チップを生体に差し込んで脳に情報を直接インプットするのはSFだが、いずれは出来るようになるのだと思う。人間が扱っている情報が、全てデジタルに変換できるのであればね。

通信制限は二年以内に解除される

インフラの整った日本と、この1ヶ月あたりあるいは三日でいくらという通信量上限設定の矛盾。

画像の画質向上によるファイルサイズの増加、音楽・映画定額制による通信量の増加の実体とまさに反対の動きだ。

タイトルでは二年と言ってるが、もっと早いかも知れない。
理由は簡単。コンテンツの定額制サービスというビジネスモデルが成功をおさめたとき、最も障害になるのがこうしたモバイル端末でのアクセシビリティの少なさだ。
コンテンツの定額制サービスは、アクセスし放題であってこそ、はじめて意味をなす。

映画・アニメ・ドラマ・音楽、およそデジタルに変換可能なコンテンツをもってビジネスに挑む時、肝心なのはそれに対するアクセシビリティだ。