『電気の恋人』はプログラムに携わる人なら抑えておくべき神曲

電気の恋人 /* Dreamy IC Mix */

電気の恋人 /* Dreamy IC Mix */

前奏が1分あるけど、僕はこのバージョンが一番好き。

歌詞がとにかく最高なんですよ。
ノスタルジックを感じさせる旧世代の遺物もあるけど、単調なメロディだからこそ表現出来ている電子感。プログラム感。

恐る恐るスイッチ入れたら 無愛想な“OK”の2文字
「konnnichiwa」って入力しても “Syntax Error”何それ? 読めない・・・

これだけでも秀逸すぎて、目からウロコみたいな汗が止まない。

僕はプログラムに集中したいとき、頭の中でこれを再生したりしてる。社内ではヘッドホンをつけての業務が禁止なんでね…。

mosaic.wavは、電波ソングってだけで敬遠されてるけど、音楽は本物ですよ。
本当に、忌憚なく言って、よく考え抜いて作られた曲ばかりで、何年聞いてても飽きない。


MOSAIC.WAV 迷惑メーリングGIRL/MOSAIC.WAV

MOSAIC.WAV 迷惑メーリングGIRL/MOSAIC.WAV

この迷惑メーリングガールとかも、聞けば聞くほどすごい練り込まれていると感じる。

僕は語彙力が少ないので詳細な説明は出来ないのだが、友人から選択眼はあると言われているので是非とも聞いておくんなせえ。

サンリオピューロランドのホラーイベント「オバケンゾンビランド」閉館後の館内に大量のゾンビ

サンリオピューロランドのホラーイベント「オバケンゾンビランド」閉館後の館内に大量のゾンビ

サンリオピューロランドのホラーイベント「オバケンゾンビランド」閉館後の館内に大量のゾンビ - ファッションプレス

ゾンビ好きにとっては非常に行ってみたいイベントだ。

でも東京なんだよなあ…何か理由をつけていけないもんか。

「目潰しレストラン」はなかなか面白そうな趣向だ。
ゾンビから逃げている状態で、既に電気の失われた世界で、暗闇で声を潜めながら食べる料理というわけだね。自分の食べてるものが見えないというのは、食欲と恐怖心を同時に味わうことが出来る、シンプルではあるが乙な体験である。

ゾンビと視界は結びつきそうで結びつかない。
僕は、「デモンズ」に出てきた盲目の老紳士しか思いつかない。
まああれは厳密にはゾンビというわけではないけど…

デモンズ [DVD]

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不便なものをあえて使い続ける人たちへ感じる違和感

便利を享受するのに理由は要らないが、不便を受け入れるのには理由がいるのかね。

例えば、決済に便利なクレジットカードを「自分の使った金額がわからなくなるから」といって使わない人たち。

例えば、読書に便利な電子書籍を「自分で所有している感覚、読み進めている感覚がなくなるから」といって読まない人たち。

例えば、タスク管理に便利なクラウドで複数人で共有出来るタスクツールを「自分のノートに書くようにすぐに気軽に書けないから」といって使わず、いつまでもオフラインのノートで書き続けて共有を拒む人たち。

例えば、コミュニケーションに便利なラインなどのツールを「情報がどこに漏れてるかわからないから」といって、キャリアメールを使い続ける人たち。

例えば、世界と繋がるのに便利な英語を「自分たちは日本人であり、ここは日本なので、英語なんて学ぶ必要がない。日本に来る外国人が日本語を学んでくるべきだ」といって英語を学ぼうとしない人たち。


一方、便利を享受する人たちの言葉は簡単。

「便利だから」。

そして、しばらくすると皆、決まってこういう。

「もう昔のようには戻れない」。

技術史はこの繰り返しで紡がれてきた。

あらゆる主張は、大抵どちらかに分類される。
時流に従っているか、抗っているか。

抗う者は気付かない。知らず知らずのうちに、便利を選ぶ人たちに生かされるようになるということを。

世界文明における技術の千年史―「生存の技術」との対話に向けて

世界文明における技術の千年史―「生存の技術」との対話に向けて

映画「ボーダーライン」を観た


出張中の時間のある夜に、Amazon Prime を利用して視聴した。

僕自身、久しぶりに映画を観るということもあり、非常に集中して見れた。

しかし、集中して観ることが出来たのは、久しぶりということだけではなく、この映画がまるでドキュメンタリーのように進行するからであろう。

BGMはほとんどなく、雑音や雑踏の音、銃撃の音や車のエンジン音やタイヤが転がる音だけが聞こえ、あとはキャラクターたちの話し声のみ。

主人公であるケイトはFBIのエージェントで、いきなりメキシコのカルテルの捜査に巻き込まれ、今までとはまったく違う世界を見ることになる。

世界の全貌すら見えず、捜査の内容や意図も明かされず、法の及ばぬ地域で非人道的で非日常的な光景を目の当たりする。

しかし、視聴している僕には、それがまるで現実の世界を映し出しているかのような緊迫感を感じた。

これはメキシコの麻薬戦争の一部を映し出した映画だが、それが一部だとしても闇が広大であることを悟らせることが出来るような展開。
重要な登場人物が既に買収されているのか、それとも別の目的があるのか、全てを疑いたくなるシナリオ。
子どもたちが無邪気に生きている隣で起こっている、現実と思いたくない凄惨な事実。

これは映画だ。現実ではない。

だが、限りなく現実であると言い切ることが出来るほどの説得力のある映画。

僕は視聴後、麻薬戦争についてネットでいくらか調べてしまった。これがどこまで現実なのか、知りたくなったからだ。

そして、僕は現実は映画以上であることを思い知った。映画は当然だが、まだ「放映出来る」レベルであり、「起承転結」があり、「オチ」がある。

現実は恐らく、どれもない。

さて、話は変わるが、僕は10年前くらいから、映画より海外ドラマのほうが好きだった。
海外ドラマのほうが尺が長い分、より物語を精密に描けるから、深く世界を楽しめるから、と言うのが理由である。

だが、こういう映画を観るたびに、限られた尺と決まりきったエンディングで、テンポよく観るものに新鮮な驚きを与え、関心を与え、現実を顧みさせる、そういう映画もまた、とても貴重なものだと、改めて再認識した。

世界を、人生を、考えさせてくれるのが、良い映画というものなのだ。


前から来る失敗と、後ろから追いかけてくる成功と

自分が全力で走っているとき、
失敗は前からやってくる。
成功は後ろから追いかけてくる。

前からやってきた失敗にぶつかるかどうかは、広い視界と論理的な予想が役に立つ。
ぶつかって倒れてしまっても、起き上がって前を見れば、その失敗は追いかけてこない。失敗は常に前から来るのだから。だから常に前を向こう。

成功は自分の後方から追いかけてくる。
成功が自分を追い越したとき、自分はそれを捕まえなければならない。
それには、走っていても周りを見て手を伸ばす余裕がいる。走るだけで精一杯になっていると、成功は追い抜き過ぎ去ってしまう。

後ろを振り返れば山のような失敗と、自分に近付く成功が見える。
しかし立ち止まってはいけない。成功は走る者を追いかけてくる。

「思考は現実化する」を読んでて感じたこと。

人から教えてもらうことと知識で解決することの違い

時々、「ここでハマりました」「ああ、それは○○と言う理由で、こうすれば解決出来るよ」「手順書に書いてなかったのでわかりませんでした。」
なんて言う会話をすることがあるんだが、その○○と言う理由が、業務によるものではなく、どちらかと言えば環境周りであったり、インフラ周りの事情であったりする。

例えば、

pip install sphinx

を実行しようとしたら、timeoutが発生しました。
色々調べてみたら、--proxyオプションを指定しないといけませんでした。
予め誰かが教えてくれてたら、あるいはマニュアルに書かれてたら、時間を無駄にせずに済みました。

と、教えてくれなかったことを非難してくる人がいる。

しかし、翻って考えてみよう。
もし自分たちのマニュアルにきっちりと--PROXYオプションを指定することと書いていたとする。あるいは、何らかの情報共有ツールの中に、きっちりと--PROXYオプションの指定が触れられていたとする。
社内で実施する限り、それはうまくいく。担当者は何の疑問も覚えず、何事もなくsphinxをインストール出来ることだろう。

さて、その担当者が出張でホテルへ宿泊した。ラップトップが新しくなったので、ホテルでインストールしてみるか、と思い立つ。マニュアルに従い、インストールしようとすると、--proxyを指定しているにも関わらず、timeoutが発生することに気付くだろう。
当然、そのproxyは社内でなければ繋がらない。
しばらく時間を費やしたあと、担当者は、「proxyを外すときがある場合のことを書いてませんでした」なんてことを言ってくるかも知れない。

ちょっと待てよ

それはマニュアルの親切さではなく、

  • 君の根本的な知識不足
  • 君がマニュアル脳

である事が理由だ。
マニュアルは、読む側に一定の知識を要求する。
応用するには知識が必要だ。
自分の知識不足を棚に上げ、マニュアルの不備を指摘するのは、教科書に書いてない問題は全て悪問だと言わんばかりの言い草だ。

エンジニアは、こうしたことが頻繁に発生する。
つまり、ネットで何か調べて実行しようとしたら、うまく動かない。
それは調べた結果が不親切であるためでも、必要な事項が書いてなかったためでもなく、読む側の知識が足りなかっただけに過ぎない。

全てを教えてもらったとしても、全てを理解出来るとは限らないのだ。
教える側に知識があり、それを与えてもらう機会がどれだけ多かったとしても、その知識を自分の血肉にするためには、それを理解するための知識が必要なのだ。

体系立った教育がなく、OJTをして新人を教育しようとすることは、新人自身がたゆみなく学び続けないといけないことを意味するが、なぜそうなのかと言う説明が一切ない。
そこに悲劇が登場する。

報酬と成果の関係

シンプルに不思議に思う。

僕が日本企業に所属いるからだろうか?

例えば、僕が色んな人の意見を取りまとめて夢のビジョンを作り上げ、例えば1億円の案件を獲得し、利益500万円を確保してやりきったとする。

他方、同僚が1000万の案件を獲得し、利益50万を確保してやりきったとする。

僕と同僚の間には恐らく金銭的な差がほとんどない。
あったとしても、ボーナスでせいぜい10万つくかつかないかだろう。
上げた利益に450万の違いがあるのに、何故?

会社活動だから、売上た利益は投資に回る。
それはわかる。

しかし、その利益を生み出した人に、案件額に比例した還元がないのは何故だ?どういう仕組みでそうなっている?

加えて、赤字案件をやりきってしまった同僚Cがいたとしよう。
これでも、恐らく賃金に大きな影響はないだろう。




ああ、そうか。簡単な話だ。

僕らは時給で働いているのだ。
上げた成果は報酬とは無関係である。

それなら、真面目にやらないほうが、良いよな。

会社の利益が少なくなっても、時給で雇われてる僕らには知らん話だ。
会社の利益と僕らの報酬は何も関係ないのだから。

なに?会社の利益が落ちてきたから、従業員の給料を下げるだと?なんでそこで連帯責任?

おかしい話じゃないか、利益と報酬には無関係だと結論付けたばかりのに、利益と給料には関係があるだなんて。

いやでも、利益が上がっても給料が上がることなんてなかったぞ。

何がどうなってる?日本企業は従業員目線の理論などなく、とりあえず搾取だけしておけば良いってのか?

やってられるかクソが。外国の企業のほうがまだちゃんとした理屈があるわボケが。

と、そういう思考になる若者がどれだけいると思う?

若者がそう思い始めて、日本企業を避けるようになったら?

どういう未来が待っているだろうね?

あなたの会社は、そう思わない従業員がほとんどだろうか?満足している従業員が多いだろうか?

さあ。
想像する時間だ。