コンピューターと人間のアイデンティティ

【衝撃】「人間はコンピュータである」米有名大学が実証へ! 意識や感情も“量子”で解明、人間観が劇変か!

人間の解明が進み、本質はコンピューターと違えど、機能的に近似していることがわかったり、あるいは逆に、あるいは同時に、コンピューターが進化して、表面的には人間社会に溶け込めるようになったりしたとき、人間としてのアイデンティティが揺らがないまでも、労働・社会生活・消費生活に及ぼす影響は無視できないものになるだろう。

嘘喰いから受けた影響と戦略的思考

僕は嘘喰いという漫画が大好きで、否、大好きなんてレベルじゃなく、もう人生哲学の一つになってるレベル。

暇さえあれば嘘喰い読んでるから、頭の中に嘘喰いの世界が構築されて、嘘喰いの戦略の奥深さについてずっと考え、僕の生活や仕事へ多大な影響を与えている。

嘘喰いの勝負は、ギャンブルなのだが、「勝てない勝負はしない」と言う前提で勝負を受けているので、その事前の仕込みや途中でのミスリードがものすごく秀逸。

僕がよく生活や仕事に役立てているのは、

相手に何か情報を与え、その情報から進むべき道を考えたとき、進める方向が限られていると相手に思わせること。

自分の都合の良い状況を作るということをするには、相手に限定された情報を与え、その情報で相手に考えさせ、その実自分は別の情報を隠し持っておき、それを有利な武器として扱う、という戦略。

戦略とは情報操作の能力と言い換えることも出来る。

また嘘喰いから受けた影響は書き続けていきたい。

嘘喰い コミック 全49巻 セット

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ペーパーレスに隠された功罪

先日、ペーパーレスを進めた結果、今まで紙で印刷して配布していたことがタブレットによる電子表示になり、見事に紙の使用量が減ったという話を聞いた。

なるほど、とても良いニュースだ。紙の使用量を削減することにより、紙の購入代金が減り、経費削減により利益率が向上するだろう。

一方、タブレットがあるにも関わらず、作業者の不注意で現場の電源を落としてしまい、タブレットによる電子表示がないために不便を被ったという話を聞いた。

ところで、タブレットの運用には必ず充電、というか電気が必要になる。

僕はそのことを聞いてハッとした。

全世界的にペーパーレス化が進み、見事に伐採される木々が少なくなり、紙生産による環境破壊は食い止めれたとする。
ペーパーレス化の代替は、電子表示。それには電気が伴う。
結果、全世界的に電気需要が増大し、発電所は逼迫し、より多くの電気が供給出来るように、例えば火力発電であればより多くの化石燃料が消費されるだろう。

このことは、「世界のリソースを削減する」と目的を達成出来ているだろうか?

合成の誤謬という言葉が脳裏を過る。
一見正しいと思えることを皆が一斉にやることで、間違った結果が生まれる。

僕たちが考える合理性は、果たして正義か?

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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git diffからのvimで変更行数が少ないファイルの順番にソートして無駄ファイルをコミット対象から外す

qiita.com

会社でのリリース作業にあたり、面倒くさい手順をマニュアルでしていたが、スクリプト的な感じで手順化すれば簡単じゃね?と思ってまとめてみた。

成功と失敗の定義と客観

1人の大きな成功者の裏には、大きな失敗者が100人はいる。
誰もが大きく成功したいと願っているが、足元が定まっておらず闇雲にリスクを取った結果、失敗する者は多い。

失敗する者が多いのは、「成功の定義」が、客観的であるためだ。
「誰の目から見ても成功者」、そんな者になるためには、並から始めたら大きなリスクを取るしかない。あるいは、完全なる強運か。

そうではなく、成功を自身の主観で定義することが出来れば、大きなリスクを取ることなく、成功することが可能だ。
小さな成功の組み合わせが、やがて客観的なる成功へと積み上がる。
「ちりも積もれば山となる」ことは誰もが理解している単純な事実だが、客観を無視した主観的事項にはなかなか当てはめることが出来ない。成功とは、他人からの承認を受ける種類のものである性質が強いためだ。

成功/失敗が主観的なものであり、即ち解釈の余地があるものであれば、成功と失敗を同時にしていると見なされる人もいるだろう。

例えば資産1億を持つ人は客観的に見ればなんらかの成功者と言える。しかし、もしその人が家庭を持っていなければ? 
家庭を築き、つましく暮らしているサラリーマンから見れば、家庭を築くことに失敗した人のように解釈可能だろう。

羨ましさは客観的な成功への渇望であるが、満足は自身が定義した成功の証である。
わかりやすい指標に振り回されることから解き放たれることこそ、自分自身の人生を生きる第一歩だろう。

RPAの行き先と、結果分類される意味

飛ぶ鳥を落とす勢いでバズってるRPAであるが、その先行きには僕はとても心配を感じている。
自動化は結構なことだが、自動化しようとしている対象について、理路整然と言語化出来んの?って感じ。

例えて言うなら、漢字を正しく書けない人が、「OCRってやつを使えばうまく漢字を読み取ってもらえるんだろ?」と期待しているかのような同質さを感じる。

業務の行間を全て言語化するのは、きっと容易ではない。
それが出来たら、SierによるIT業務効率化はきっと出来てる。
Sierにプログラムを作ってもらって、不具合以外の要因で「これじゃないんだよなあ」と思ったことがあるなら、RPAが想定の結果を出してくれるという期待を裏切られる確率は、より1へ近付いただろうよ。

RPAをうまく利用するには、誰かに正確に理路整然と伝える事が出来る、が前提となる。聞く人に行間を読ませるとか、「ここはいい感じで」とかのニュアンスなどは大敵だ。あなたの価値観は、コンピューターにはつたわらない。

働き方改革の波に乗って一大ビジネスになっているRPAだが、果たしてその向かう先は…?
とはいえ…僕は思うが、RPAをうまく利用出来た・出来なかったという結果分類は、その後の来るべきAI社会への適応可能性を著しく示すものなのではないか…と…

富の未来 上巻

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富の未来 下巻

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採用時点での間違ったアプローチ

部下に仕事をしてもらうということ - Anything changed in the decade

僕は上記記事で、部下は部下であると同時に、自発的に行動出来る上司としての役割を求められているのではないかという疑義を持つに至った。

おそらくそれは間違った直感ではない。日本社会の総合職などは特にその傾向が強く、初めは言われたことをやるが、そのうち誰かに指示し、皆を率いていく役割を暗黙的に押しつけられている。そのプロセスは段階を経ない。じわじわと、シームレスに、まるでほんの少しの隙間から入ってくる水漏れのように、誰にも言われずに侵食してくる。

言われたことをちゃんとそつなくやっていたら、いつの間にかそれだけでは評価されなくなっていた、というわけだ。

実務者と管理者には大きな違いがあるという。実務者として有能だった人が、管理者としては有能ではない、といった類いの話は枚挙に暇がない上、ピーターの法則などとしても喧伝されている。
日本社会のキャリアパスにおいて、実務者の次は管理者なのだから、ピーターの法則によって無能な管理者が多くなることは避けられない。

さて、僕は、こう思う。

自発的な人間には自身で判断/行動出来る裁量を与え、自発的でない人間には誰かの指示で行動してもらう。それが適材適所であると。

自発的な性格でない人に自発的になってもらうエネルギーよりは、初めから自発的な性格の人を雇う方がエネルギーは少ない。

畢竟、元とは違う性格に変貌するのは、成長ではなく、もはや洗脳である。

十把一絡げに新卒採用し、そこから人材育成と称して性格改造を行い出世街道のレースに皆を乗せるよりかは、

リーダーとしての資質を持つような人材を面接で見極め、最初から裁量を与えて人を率いてもらうほうが、ステップとしては合理的だ。

そしてフォーカスは採用面接に移る。
「リーダーがいない!」「リーダーではなく有能な実務担当者がいない!」などと、固有の性格を持つ人材の不足を嘆いている組織は、人の性格を変えることに失敗したのかも知れないが、それは最も難易度の高いことである。つまり、採用から始まって人材の活躍というプロセスの中に、「成長」ではなく「性格の変質」が含まれているとき、初めから間違えているわけである。アインシュタイン曰わく、「人の性格を変えることは、原子の性質を変えることと同じくらい難しい。」。

だから、そう、結局僕が悩んでいた問題は、「部下が育たない」ではなく、「人の性格を変えられない」というものであり、それは無理だよという結論だ。

しかしそう考えると、「面接の必勝法!」みたいなノウハウは、クソの役に立つどころか企業組織にとって有害だな。自発的でない人間が、面接で自発的かのように見せるノウハウを駆使した先にあるのは…?そう、悲劇だ。こんなはずじゃなかった、自分ではない自分が求められる。あいつは面接でウソをついていた。しかし解雇をすることも出来ない。
そうして歪みは大きくなる。大きな歪みが多くなると、組織は変質する。変質した組織が多くなると、社会がおかしくなる。

アインシュタイン150の言葉

アインシュタイン150の言葉